FC2ブログ
ADMIN TITLE LIST


Recent entries
2019/02/15 (Fri) 還暦
2018/08/19 (Sun) 熱闘甲子園
2018/08/06 (Mon) 豪雨被害
2017/06/04 (Sun) 安田記念の2
2017/06/03 (Sat) 安田記念

 3月21日に開幕した選抜高校野球

 途中、東北・北海道が緒戦全勝も
2回戦で東北3校が全て敗退

 年度末の忙しさに、新聞やネット記事で
勝ち残りをチェックしていたのだが
今日、準決勝2試合が行なわれた結果は
な、なんと北海道対福井の雪国対決となったではないか

第一試合 夏春連覇を目指す大阪桐蔭を
敦賀気比が11-0と粉砕
左投手対策に起用された背番号17の6番打者による
史上初の2打席連続満塁本塁打、
個人1試合、8打点の新記録もオマケについた
この両校は、昨夏の準決勝でも対戦
大阪桐蔭が打撃戦を制して勝ったのだった
今度は、敦賀気比が序盤の打棒で圧倒し、
昨夏打ち込まれたエースが、強力打線を完封した

第二試合 2013年に優勝し2度目の優勝を
目指した浦和学院を、東海大四が3-1で下した
この両校は、現チームになってから
秋の明治神宮大会の緒戦で対戦
6回コールド 10-0で浦和学院が大勝していた
大雪の中、雪辱を誓って鍛え上げた東海大四高が
一冬越して、見事、宿願を果たした

決勝は、明日、12時30分プレーボール
どちらが勝っても初優勝である

福井県勢は37年ぶり(福井商以来)
北海道勢は、52年ぶり(北海以来)
の決勝進出であり、道県としても、
ともに初優勝の北国の春である

スポンサーサイト




 3月25日(水)
 年休取って娘の卒業式に出席
引っ越しの下準備を兼ねて車2台で出かける
アッシは単独運転、妻と娘がコンビで
アパートで落ち合う事とする

途中、トイレ休憩&喫煙タイムを1回取って
2時間程で到着、
時間を見計らって大学の式場へ移動
一時間程の式が終わって、学内を見て回り
ゼミの教授に挨拶に行った娘の戻りを待って昼食へ

前回訪問時に行きそびれた
リバーサイドのパスタのお店に

2時前にはアパートにとって返し
第一次引っ越しの準備を始める

 男の子と違って、女の子は何でこんなにも
荷物が増えるのか?
入学時には、広く感じた8畳のワンルームが
所狭しと物がある

 一番場所をとっていたのは観葉植物
種類の違う植物が何鉢も置いてある

 服や本、クッションや布団などなど
当分使わないような物を中心に
車に詰め込んだ
 娘を残して、車2台で山形へ
ほぼ同時に到着して、娘の部屋に
運んできた荷物を入れなおす
この中から鶴岡の転居先にまた運び直すのだろうが
本各的な新生活は4月4日以降なのであった

 3月27日(金)
妻が休みをとって、福島のアパートの引き払いの手伝いへ
室内掃除をして、大家の立ち合いも無事終了
クロネコヤマトの単身パックでコンテナ2個分の荷物になった
残りは、単身パックに入りきらなかった観葉植物とともに
夕刻、妻と娘が戻ってきた

 3月28日(土)  好天
空の青と残雪の白が目に染みる月山道を快調にドライブ
街中の不動産屋で入居の説明を受け、契約書にサイン
「滝太郎」で昼食の後、新たな住まいへ移動
午後2時前、会社の支店長さんと合流して
室内確認の立ち合いをしていただいて、
会社に提出すべき必要書類に記入して
事務的手続きは、15分くらいで、全て、完了

 3時前に、クロネコヤマトのコンテナ到着
室内に運び込みが30分程で終わる
 クロネコのお兄さん二人が運ぶのに
手伝うこともなかったのだろうが
なにかにとなく手伝ってしまう
クロネコが去ってすぐに鶴岡ガスの担当者がやってきて
都市ガスのセッティング、ガスコンロの火、
温水器のお湯もしっかり出るようになったのを確認して
セッティングも終了した これで生活道具は全て揃った

 午後4時前には高速道路のICを過ぎて帰路へ
眠気を催すドライブも夕陽がきれいだったな

 さあ、今年度も残すところ3日である

 昨日も今日も、日中の外気温は
15度を超えている
寂しかった庭に、
真っ先に色彩が戻ってきたのは
秋植えのクロッカス

 ちょうどいい塊になっていたのを
鉢植えに移したのがコレ

 P3220667.jpg

 昨年暮れ、増えた球根に
新たに購入した球根も加えて
二か所に並べ植えしたものだった

これから次々花を咲かせてくれるだろう

3月19日(木)異動の内示 
初めて行った内申の打率は
5割弱のまあまの結果だったかな
異動すべき時期に異動しないと
次が大変なんだろうな
また、新たな顔ぶれを加えて
新たな年度が始まる準備を着実にしていこう

3月20(金) 恒例となった内示時期の飲み会
いつもの飲み屋を2軒はしご
久々に、楽しく飲めたひと時だった

3月21(土)前夜の飲み過ぎにも
午前7時過ぎには起床
開幕した選抜高校野球を見ながら
うたた寝に沈むも、陽気が良いので
心地よい眠りである
光星学院が勝って2回戦は
大阪桐蔭と因縁の対決である
3時過ぎからは、久々に、碁点温泉にいって
リフレッシュ 夕暮れの中周りの山々が
綺麗な夕陽に染まっていく帰り道
オウバンで、母の買い物
頼まれていた仏菓子と花を買って
仏壇に供えた



 勝者による敗者の断罪のように
それまでの評価が一変した人物が数多くいる

 明治維新は、王政復古の大号令で始まった
王政復古により、①蘇我蝦夷・入鹿
②北条政子・義時、③足利尊氏などは「大悪人」とされた

 ①大化の改新、②承久の乱、③建武の親政と南北朝の分裂
何れも王政復古や皇室に仇なす者の代表として
明治以降の歴史教育の中でそう教えられてきた

万世一系の皇統は、実際には、
欧州の王朝だったら別系統とされる
いくつかの王朝のつながりで
現在に至っているわけだが
 アッシは、伝承や口伝を否定はしない
 古事記も日本書紀も、神代の事としながらも
何らかの歴史的な事実を反映していると考えるからだ

 それでも、明治政府によって、天皇の系譜に加えられたのが
672年の壬申の乱で殺された天智天皇皇子の大友皇子であり、
弘文天皇と追贈されている(671年に即位していたと推定される)
 時の政府の都合で、天皇が一人増えて歴代数も変えられているのだ

 この時代は激動の時代であり
 即位していたと推定されるのは大友皇子だけではない
聖徳太子も推古の摂政とされているが、隋との交渉では倭王であり
息子の山背大兄皇子は一族族滅され、入鹿暗殺の現場にいた、古人大兄皇子も同様
彼らは、即位していた大王だったから殺されたのだ
(即位していなければ、殺す理由がない
殺したのは、殺さなければ次の大王になれない者達である、)
天武晩年の大津皇子、高市皇子も同様である
(持統という、血統を持するという意味の諡号を
男ではなく、女の鵜野讃良という皇女に与えられることは
本来ありえないことと考える)

 7世紀から8世紀、男子天皇の皇子が何人もいたのに
皇女から即位した女帝が、推古、皇極(斉明として重祚)
元明、元正、孝謙と何人もいたのは何故か
天皇家の姓は何か
隋書には、倭王タリシヒコの姓は阿毎氏と出ている

 斉明は、太子の娘、天智はその子
天武は太子の晩年の息子とすれば
大皇弟という名称は、斉明の異母姉弟という
意味を持っていたのではないか?
高向玄理は太子のブレーンであり
斉明の最初の夫であり、天武の養父であった

 兄弟とされている天智と天武の年齢が不明なのは
王位の簒奪者としての両者にとって
天智も天武も山背を殺害し、天武は天智・大友親子を
殺害して即位した簒奪者であるという意味で
不都合な真実は、当時の機密事項だったのだろう

 天智は、白村江の戦いの後、唐と講和して即位し
唐は、天智系を倭国王位の正統として
反唐を貫いた天武系統を認めず、
女帝は黙認したというのが
8世紀の女帝連続即位の背景にあったことが想像される
遊牧民の有力者から世界帝国を築いた唐は、
自らがそうであったように、中原に鹿を追うものが現れないよう
倭国だけでなく新羅や渤海、吐蕃など
周辺各国の内政に関与し続けたのだ

 2011年3月13日 4年前は何をしていたのか?

 夕方、20時30分過ぎ、停電から復旧
付近一帯で一番遅い電気復旧だったことは覚えている

 県民手帳のその日を見れば 
その日は日曜日、休日出勤の職場の仲間達に
リポDや缶コーヒー、お菓子などの差し入れを行った

 当時250円だった「わかば」を4個まとめ買いしている
前日にも4個まとめ買いしているのにな
まだハイライトを吸っていて売り切れたのだった
自分にとって、この何日かで、
ハイライトからわかばに銘柄が変わるきっかけになったんだな

 自分の車のガソリンが残り少なかったのではあるが
途中の道路の信号も、復旧しているところ
そうでないところがマダラになっていて
交差点では、そろそろと運転していたような気がする

 震災から3日目、日曜日、仕事にならず、
買うものも無くなって、ガス欠で
街中は、ひっそりとしていたんだろうな

 津波や、原発の爆発の映像を初めて見たのも
その日の夕方だったんだな

 それから2週間後、3月28日の月曜日、
震災発生以後初の給油
早朝7時、ガソリンスタンドで満タンにして、
車通勤再開と記してある

さらに一週間、コンビニが24時間営業を
再開したのは、4月2日だった
 

このところの出来事に思うこと

被害者には人権はないのか ということ
ことに 亡くなった被害者
殺された被害者には人権はないのか ということ

13歳の少年が、リンチの挙句殺された

彼の実名や生い立ちや、映像がこれでもかと
テレビで流れ、新聞に週刊誌に掲載される
 死んでしまえば、少年法は適用されないとでもいうのか?
 それでいいのかな 

 かつて、報道の暴力
報道による被害者の二次被害
ということが話題になったが
 それでいいのかな

戦後70年 あの戦争は、日本の良き伝統
すなわち、長年培った文化や倫理感から逸脱した戦争である
安倍晋三の云う「美しい日本」からもっともかけ離れた時期が
15年戦争の時代である
 一つ 軍事が政治をコントロール
 一つ 特攻・玉砕を国家公認の戦術として採用
 一つ 捕虜の処遇を巡る国際条約を無視
 一つ 戦争終結の構想なき軍事行為

そして何より国民の生命軽視
一銭五厘でいくらでも兵は集められるとうそぶき
菊の御紋章を刻した三八式歩兵銃を人命の上位に置く

天皇の名において、天皇の軍隊といいつつ
 陛下の赤子を大量に殺す10死0生の作戦を行ったこと
正しい戦況を天皇に奏上しなかったこと
 佐官が将官を、キサマ呼びつけする不遜な階級無視
 意識の下剋上・不忠者の集まりである

 ネットの検索には、知りたいことは、何もない
仮想ではない現実の世界の 
 言葉の外にある、時間や経験を

 未知に出会う旅に出よう
未知と向き合う旅に出よう



 1月に56歳になった

 55歳を超えたら昇給停止
だから、もう、昇給することもない

 明後日、4度目の3.11がやってくる
これまでの4年は

たとえば、娘の受験から卒業までの時間に重なる

 中二だった息子は、公立高校の受験に失敗し
私立高校の3年になろうとしている

 妻は、三つの街の、三つの学校で、
短期間の臨時の養護教諭として働いてきた

 自分はといえば、三か所の職場で、
課長補佐として、
学校の事務部長として、課長として
それぞれの職場で、自分なりに、
力を尽くして日々過ごしてきた時間でもある

 父は、震災の年の秋に、
認知症の症状が出始めた頃、老衰で亡くなり
母は、白髪が更に増え、杖をつく生活から、
車いすが離せない日常になり
認知症の症状もハッキリとしてきている

 さて、これからの4年は?

自分の職業生活の残りが4年
だまっていても60歳定年がやってくる
 その後の職業生活のことはわからない

 震災による、揺れと津波による被害に加えて
原発事故による被害が重なって
復興を難しいものにしている

 これからの4年という時間を考えるとき、
今日、この瞬間、今は、ただ、
明日も、そして明後日も
仮設住宅で3.11を迎えるであろう方々が
2020年に開催される予定の東京オリンピックを
仮設住宅に住んだまま、
開会式のその日を迎えることがないように祈るばかりだ



 3月7日(土)
 太平洋戦史全10巻のフィリピン編を読了し
さあ、次はどうするというところで
手にしたくないなと思っていた
中国、満州(上下)、朝鮮の4巻が残っていた

隣組の年一回の懇親会の酒が回った頭で
 さて、何から読むかと思い、結果、朝鮮編に挑戦することとした

21時過ぎから読み始めた 最初の作者は、女性である
「藤原てい」という
 5歳、2歳、生後二か月足らずの乳飲み子
3人を抱えての、満州新京から北朝鮮
38度線を南下、帰国するまでの
約1年に及ぶ苦闘を描いた文章の内容は凄まじい

 100頁あまりを一気に読み進め、
日付の変わった午前2時に読了

3月8日(日)
 午前中は、いつものように「サンデーモーニング」
「NHK杯将棋トーナメント」を見ながら昼過ぎからは
「YOUは何しに日本へ」と
相も変らぬ日曜日の過ごし方
合間に昼寝を挟んで夕刻前に母の買い物

 藤原ていのことが気になって、ネットで調べると
満州・朝鮮からの帰国までを描いた
「流れる星は生きている」は100万部を売った
ベストセラー作家ではないか
しかも、あの「新田次郎」の奥さんではないか

 逃避行の文章中に気象台勤務の夫が
仕事が残っているということで
離れ離れの逃避行になった経緯が書かれていたが
新田次郎のことだったとは想像が届かなかったのだ

 新田次郎の作品は、「新田義貞」「武田勝頼」「孤高の人」
など何点か読んでいるのだが
奥さんも、作家だったとは知らなかったのである
また、この逃避行で2歳だった次男正彦さんは、
最近「国家の品格」を著作した学者であることも知った

 朝鮮編は、殆ど、逃避行、脱出行の話のオンパレード
のようであるが、8月9日、ソ連が侵攻してきた時点で
どこに住んでいたか、どんな境遇であったかが
その後の運命に大きく関係しているようだ

 父が残し、旧宅から引っ越しの時に「本は捨てるものじゃないよ」と
廃棄するのを止めてくれた上から三番目の叔母に感謝しながら

 苦行にも似た読書になるかも知れないが
最後まで読むぞ~!
 
 


 凡そ一か月かかってフィリピン編を読了
 従軍記者が書き残した戦史であるが
フィリピンは、あの広い国土を戦場にしても戦没率90%

 フィリピンは、日本の支援で独立した第二共和国も
戦闘に加わって、現地の人々も多数亡くなっている

 記者諸氏も、現地徴用され、従軍した方も多く
マニラ陥落、バギオ、北部平原への敗走
飢餓、病気、あらゆる苦難に生き残って
日本に帰れただけでも奇跡的である

 その方々が、戦後30年にして
自分が体験した、見聞きした戦場を語るわけだが、

 1942年の戦い 4月のマッカーサーの比島脱出と
日本軍の占領
1944年から1945年の地獄の戦いでは
まるで様相が違う
 
 1942年 マニラからバターン半島、コレヒドール島へ逃れた
米比軍が降伏したころ、ミッドウエーで日本は大敗北していたのだった
オーストラリアに逃れたマッカーサーが、
西部ニューギニアから反撃に転じるのはその半年後
1942年11月だった

飛び石作戦で、ラバウルを無力化し
補給線と飛行場を確保しながら西進し
遂に、フィリピン攻略が始まったのが1944年10月
米軍がフィリピン奪回・ルソン島攻略の足場として
補給と飛行場の確保のため
レイテ島が最初の戦場となった

.... 続きを読む

 生きていれば、色んなことが起こる

 良いことも、悪いことも

ただ、その時にどんな対応をしたのかで
その後が変わってくるのだろう

悪いなりに、やるべきことをやれる時と
そうでない時があるのだろう

 悪手をたて続けに指してしまう
そんな時があるもんだ

 元気な時に、威勢の良いことで
自分がそんな姿になるとは想像だにしない

 縁を切りたくなるようなそんな相手であっても
普段は付き合いを絶って、
近づかないようにしてはいても、
状態を確認に行ってもらって、
確実に認知症の症状が出ているとあっては
ほったらかしにしておくことは出来ないのだ

  本人の意志能力が残っているうちに、
公的な支援の輪の中に取り込まなければ
 そうでなければ、今後、どんな悲劇がまっているか知れないのだ

 議会中なのに、所管事項に質問項目がなく、答弁調整が一件もない
午後からの会議や打ち合わせや出張も入っていない
という奇跡のような二日間の時間があったことで

 緊急に二日間の年休を取得し、
中の叔母び対する今後の対応について
新潟に住む上の叔母や、同じ埼玉に住む末の叔母夫婦と
意志統一を図ることとした次第であった

 3日は、新幹線で埼玉往復を日帰りし、6時間の乗車時間
 4日は、マイカーで、新潟まで雪道を往復日帰り6時間の運転
 体は十二分に疲労しているが
こういううことは、電話だけでは片付かない
面談して、相手の様子を確かめながら
話すことが大事なのだ とつくづく思った

 まだ、予断を許さない

 当分、連絡を取り合いながら、必要なら
一番動ける自分が、あちら、こちらと動いていくしかないのだろう




 先日、何気なく、風呂上がりに
体重計に乗ってみた

 目盛りが、グングン右に偏っていく
示した数値が、な、な、なんと
○○キログラム(数字はとても書けまへん)で
一月前から10キロもプラスになっているではないか

 オーバーウエイトの原因は
チョコレートだろうな~

 この一ケ月、ストレス&捻り出しに励んで
アーモンドチョコをポリポリ、パリパリやってたからな

 500mlのミルクコーヒーもおまけについてます
なんていう状態では、どうしようもないな

 連日のウオーキングが無駄になる食い気であった

 チョコ断ちしなきゃな



 一昨日、ボケ防止なんて記事を書いた
翌日の28日昼過ぎ
埼玉から電話あり

 事情があって賃貸住宅の連帯保証人になっている
中の叔母の様子がおかしいということで、
大家さんの息子さんから連絡が来た

 だいたいにして、良いことで電話がくるはずもなく
15分くらい、最近の事情を教えていただく

 上の叔母に事情を話し、連絡を取り合ってもらって
何とか同じ埼玉の私鉄沿線に住んでいる末の叔母に
中の叔母の様子を見に行っていただくことと相成った

 
.... 続きを読む


| HOME |


Design by mi104c.
Copyright © 2015 MITSUの山・競 時々戯言, All rights reserved.