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 115年目を迎えた我が職場
記念の植樹をすることになった。

 日頃の行いが良い人が多いのか
昨日は夕方に雨が降って適度なお湿りで
埃っぽかった地面にも適度に湿り気が残って
カラカラだった植樹予定地もすっかり様相が一変
落ち着いた雰囲気に変わっていた。

 一連のセレモニーが終わって
記念撮影も終わるころ雨がポツポツと落ちてきた。

 西の空には夕日が見えるのに
頭上には厚い雲。
 沛然と降ってきた頭上の空模様を眺め
目を転じれば、ほの暗い東の山々を背景にして
大きく綺麗な虹が南北にアーチをかけていた。

 この夕立の後の綺麗な虹を、君は見たかい?

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ハロン湾の一コマ

 5月3日の早朝から5月7日の早朝まで
成田とハノイ(3泊)を往復していたわけだが
その間の日本のニュースには
まるで関知していなかったわけで

 帰国してからも、蓄積した疲労の回復と
次から次へと発生する業務上の問題解決などに
気を使い続けて、すっかり忘れていた訳であるが
 
 昨日の新聞に、中坊公平氏の訃報記事が載っていた。
 
 5月3日逝去。83歳だった。
ということは、アッシの父親と同い年生まれだったんだな。

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第54回宝塚記念は、⑩ゴールドシップが快勝した。

4強対決に沸いた新聞前哨戦から、オルフェーブルが肺出血で脱落。
3強対決となった今回。

3強が、組み合わせはどうあれ、そのまま着順になったなんていうのはほとんど記憶にない。

それでも、③フェノーメノや⑪ジェンティルドンナを切るなんてことは中々出来ないものだ。


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 約1時間、じっくりと見て回ったARTMUSIUMには、
ベトナム戦争時代の作品だけではなく
古代の出土品なども展示されていた。

 P5060223.jpg


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 最終日は、各自自由行動

 月曜日であり、閉館もあったが、
ARTMUSIUMは、開いていた。

 作品の中心は、ベトナム戦争時代の絵画や彫刻
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作者は、NU DU KICH 1918-1976 の1958年の製作

アメリカがベトナムに本格的に介入する以前の作品
この女性兵士は、対仏戦争時に活躍していた姿か?

.... 続きを読む

もう、先月のことになるのだが、
山形県内では知る人ぞ知る
一人の文豪が亡くなった。

訃報記事にも気付かないまま
友人に教えられて
あわてて焼香に出かけた。

ほんとに突然の人生の終焉だった。
死因は、急性心不全。

救急車で病院に運ばれてから
半日ほどで息を引き取ったという。

アッシが中学生だった頃に出版した詩集「古墳群」は
子供ながら、好きだった。

「村の県庁マン」は、面白く読んだ。

2年前の父の葬儀の時は、叔母や自分の記憶について
熱心に取材してくれて
戦後間もないころの、我が家の来歴の一端を知ることもできた。

 麻雀牌を生まれて初めて手にしたのは
その方の自宅に於いてであった。

 少年時代のの多くの時間を、私と同じ年のその方の子供がいた
その家の居間や、庭や、畑やその周辺で過ごした。

 祖父の7回忌の時の集まりで何かの拍子に
将棋を指してもらったが、
一局も勝つことが出来ず
悔し涙を流したことも、未だに覚えている。

 長い人生の中で、本家とアッシの家は遠い時代に分家した家という間柄であり
各々の状況によって、近くあったり、疎遠であったりした時期もあったが
話して面白く、楽しい方であった。

 隣町に住んでおり、何かとその家の近くを通ることがあって
いつでも会えると思っていた人の
突然の訃報に、ただただ人の世の無常を想う。



 ロスタイム、本田がPKをゴールど真ん中に決めて
オーストラリアと1-1の引き分け、勝ち点1をゲット

トータル勝ち点14点とし、
最終予選2位以上が確定し、
2014年W杯ブラジル大会出場を決めた。

開催国以外では、最初の出場決定国となった。

2014年W杯開催国のブラジルには、
アッシと同性の一族が住んでいる。

 昭和10年代に移住した第一世代(母・娘)から
今や第四世代、もしかすると第五世代になっている。

 第一世代の方が、渡伯後に初めて日本に里帰りしたのは1974年
7月中旬から約一か月、我が家に滞在した。
母が、応接を一手引き受けして、車で、松島や平泉
蔵王や山寺と、時間を見つけては案内した。

 第二世代(その方の娘夫婦)が日本に出稼ぎに来たのが
1994年だったと記憶している。
その時は、帰国前の一時滞在とのことで、
我が家に二泊程の短期滞在であった。

 来年は、それぞれから40年と20年の節目を迎える。

今度は、こちらが訪問してみようか?

ま、とにかく、出場決定、おめでとうザックジャパン。

どうせなら、世界一を目指そうぜ。

 嶋地区に大型店舗が立ち並び始めたころ
ダイユーエイトの開店記念セールで
番のインコを買ってきた。

 娘が名付け親となって、
真っ白な「キヌヨ」と
青と白の「ブンジロウ」と決まった。

キヌヨは3年前ほどに喉に物を詰まらせて死去

ブンジロウは、今朝、老衰で眠るように死んでいた。
ブンジロウは、いつからか、ジロウと省略して呼ばれるようになり
帰宅すると、籠から出すようにせがむようになっていた。

人懐こいキヌヨと違って、
ジロウはほとんど人に寄り付かなかったものだが
ここのところ、人の指を襟巻にして眠るのを習慣にしていた。

在りし日のキヌヨとブンジロウ
二匹の姿である。

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ジロウは、平成19年の9月からこの6月3日まで約6年生きた。
インコとしては、天寿を全うしたといえるのではないか?

サヨナラ、ジロウ君。




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