FC2ブログ
ADMIN TITLE LIST


Recent entries
2018/08/19 (Sun) 熱闘甲子園
2018/08/06 (Mon) 豪雨被害
2017/06/04 (Sun) 安田記念の2
2017/06/03 (Sat) 安田記念

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


三国志が大好きな日本人
魏呉蜀の三国鼎立から西晋の統一まで
の英雄や豪傑の活躍に血がさわぎ、
胸高鳴る感じなのではあるが・・・・

三国志の時代が終わった後の中華の様子は
以外に知られていないのではないか。
蜀は魏に滅ぼされ、魏は西晋に簒奪され
西晋が呉を滅ぼして三国時代は終わる。

しかし、中華統一した司馬氏の西晋は、
わずか30年余で匈奴の劉氏に攻撃されて滅んでしまう。
司馬氏が一番権力を振ったのは
魏の重臣だった時代なのである。

その後の華北は、匈奴、鮮卑などの遊牧民が建てた
五胡十六国が短い興亡を繰り返し、拓跋鮮卑の北魏
が華北を統一するまで150年を要することとなる。
その中でも、東晋の軍事力から独立した
慕容鮮卑の燕国(前・後、南・北・西)が100年と
北燕国を435年に滅ぼした拓跋鮮卑の北魏が王朝として
長い治世を保った。
北魏が東西に分裂したのが545年
西の北周と東の北斉を経て北周を簒奪した楊堅の隋へ。
黄河以南には、東晋が司馬氏の余喘を約100年保つが
420年に宋にとって代わられ、以下、梁、陳と
前王朝の重臣が禅譲と称する王朝簒奪を繰り返し
隋による中華統一まで南朝と呼ばれる王朝が続いた。

300年代から580年代まで
東アジアにおけるスーパーパワーの存在が
希薄な時代、周辺地域に対する影響力が
極端に低下した時代だったのではないか。
スポンサーサイト

倭王武が南朝の宋に送使し上表した文中に
「6国諸軍事」という言葉が出てくる。

武とは、雄略天皇に比定されるのだが

倭、百済、新羅、任那、これで4国
しかし、秦韓と慕韓について問題にされているのを
見たことがない。
秦韓は辰韓で慕韓は馬韓だ
というのが一般的な解釈なのだろうが
果たして、それでいいのだろうか?

   

.... 続きを読む

 手取り給料は実質的に下がり続けている。
そんな状況で、銀行には金融緩和とか言って
無制限に近い資金が供給されるという。

 上流に金の流れを意図的に作っても
下流に流れてくる保障はない。

 銀行は、不良債権を抱えたくはないし
厳しい審査を通れない会社には金を貸さない
つまり、下流には金が流れない。

 行き所を無くした金は、投機資金となって
株や、金や先物相場に向かうしかないんじゃないのか?

 
.... 続きを読む

 ここ2年くらいのパソコンやルーターの混乱で、
リンクしていた方や、ブログ訪問していた方の
記録を無くしてしまったのが結構あります。

 北海道のtaka@中座敷さん、「ウザイ独り言」のケイさん
 千葉のnannbuyaさん
 大阪のミントさん
 熊本のスイートメモリーさん
 
 7年前にブログを始めた頃に訪問して頂いた方々です。

 アッシは、未だにとりとめのない
戯言を、なんとかんとか書き続けております。

 もし、今もブログを続けていらっしゃったら
ご連絡いただければ幸いです。




 今日は、給料日
年に1回の昇給も果たしたが、
昇給通知書から、やっと追給金額が消えた。

 記録を辿れば、なんと7年前に
給料表が改悪されて、前の給料が
新しい給料表においては思いっきり切り下げられた格付けにされ
なんとか現給保障対象ということで、
お情けでもって、本来は〇〇円だが、
+△△円を支給する
てな文言がずーと付いていたのだが
この度、やっと追給文言が消えた訳である。

 
.... 続きを読む

 一週間くらい前から、このブログの
過去記事のジャンルを修復している。
日記や映画がスポーツになったりしているからだ。
~やーが?になっている箇所も随分あったな。

 さて、昨日と今日で入試センター試験が実施された。
 雪による交通混雑や遅れもほとんどなかったようで
良かった、良かった。

 ところで、例年、日曜日の朝刊に載った
世界史Bと日本史Bの問題を解くことにしている。

 年々、得点が落ちているのはご愛嬌。
 受験生だった時代から35年が経過していることを、
一応考慮してもらえれば、これまでは
まずまずの結果だったのかもしれない。
 
 さて、今年の結果は、
世界史 73点
日本史 70点 であった。

 各々、35分くらいで解答終了。
本物の受験生なみにもう少し気合を入れて、
50分の持ち時間を目一杯使って、
答案用紙を縦横に見渡せば
もう少し取れていたような気もする。

 歴史に興味を持ち、そんな関係の本ばかり
読んでいればある程度の知識の維持は出来ているようである。

 ま、数学や、英語は、問題に
挑戦してみる気も起らないのであるが・・・・


 

 

 先ほどのニュースで元横綱「大鵬」の
納谷幸喜さんが72歳で亡くなったと伝えていた。

 大相撲の「柏鵬時代」として、
昭和30年代後半から40年代後半まで活躍、
優勝32回の大横綱だった。

 当時の子供の大好きなもの 巨人・大鵬・卵焼き
なんていうフレーズも懐かしい。

 大鵬のライバル柏戸は山形県出身で
山形生まれのアッシは、柏戸を毎度応援するのであるが
勝った一番をほとんど見たことがなく
あ~あ、また負けちゃったの連続であった。

 小学一年生のアッシの大好きなものは
 長嶋・柏戸・卵焼きだったのである。
  (柏戸よりも贔屓にしていたのが「豊山」だった。)
 銭湯に行けば、下足箱の番号は長嶋の背番号3番が定番で
空いていないと、ちょっと機嫌が悪くなったりしたものだ。
 
 大鵬のライバル柏戸は既に鬼籍に入っており
 また一人、昭和の偉業達成者が亡くなった。

 こうしてすこしづつ、昭和の記憶も薄れていくのだろう。

 もうそんなにも時間が経ったんだな。

 18年前の今日、午前5時46分の地震
を山形でも感じた。何故かその日は妻もアッシも早く起きだしていた。

 被害の酷さがわかるのは、もう出勤という時間のテレビの映像だった。

18年経って、当時2歳の娘は二十歳になり成人になった。
今、大学生となって福島で生活している。

 阪神淡路の記憶が相当薄れかけた頃、東日本大震災で被災することになった。
こちらは、午後2時46分
 100人以上出席していた新システムの説明会議の最中にグラッときて、
長い長い10分間のあと、会議会場からあっという間に
人がいなくなって、各自の職場にあわてて戻っていった。

 停電に伴う非常用電源の点灯の下、
次々と職場のパソコンがダウンしていく中
アッシの机上のパソコンが最後まで残っており、
震源地や震度情報を少しだけ長く伝えてくれていたことを思い出す。

 2年前のことすら忘れられようとしている。
記憶も記録も風化させない努力がこれからも必要なんだろうな。

 

 雄略天皇は百済の将軍「昆支」に比定される。
日本書紀に、来日の記述はあるが、帰国の記述がないのである。
 雄略と昆支の死亡時期が一致するのも一つの証明となろう。

 5世紀中期の時期の日本書紀の記述の正確さは、
昆支に時の百済王から下賜された女性が
昆支と共に日本に向かい、上陸した九州の筑紫あたりで
生んだという伝承を持つ嶋君(嶋で生まれたから嶋君という〉
と言われた百済の「武寧王」の陵墓が発見され
墓碑銘から462年生まれ523年没の
62歳が確認されたことで証明されている。
 しかも、武寧王の棺に使われていたのは日本特産の
高野槇だったことから、武寧王と日本の関連の強さが伺われる。


.... 続きを読む

 遊牧民族のトップの名称で一般的なものは
単于 大単于 可汗 汗 大汗があるが、
「天王」というものもある。

 天王は天皇に繋がる名称ではないだろうか。

 5世紀の中期から後期に活躍した雄略天皇は、
書紀の記述だけではなく
熊本県の江田船山古墳や埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文から
その存在と日本の広範囲を実効支配したと証明される
最初の天皇といえるが、書紀において「天王」とも記載される人である。

 万葉集の巻の1の巻頭の歌は、この雄略天皇の歌である。
この歌は、即位宣言の歌とも言われてる。

 さて、天皇という言葉を分解すれば
天 = 一 + 大
皇 = 白 + 王 であり、
一大白王となり一言主と同意義になる。



 


.... 続きを読む

 東アジアの地図を、西を上に
東を下にして見てみれば、
日本列島は、大きな弧になって下一面に広がっている。

 日本海は、大陸と列島に囲まれた、まさに地中海であり
北の間宮海峡と南の対馬海峡で区切られている
大きな内海であることがわかる。

 沿海州や朝鮮半島東海岸から船出すれば
秋から冬の西北の季節風に乗って
自然に日本列島に到着できる
そんな位置に日本列島の日本海側はある。
(春から夏にかけて船出すれば、その逆もまた然り)

 特に、対馬、隠岐諸島、佐渡島や能登半島は格好の目標になっただろう。

 民族大移動は4世紀にだけ起こったのではなく
何回も起きているし、西に移動しただけではなく
東に移動した人たちもいただろう。

ある王朝の終焉は、大量の移民や
支配層の亡命をもたらすものだ。

 万世一系の史観が巾をきかす日本史学会において
王朝交代や易姓革命、簒奪の歴史認識が一般的に
なることはないが、それらが日本に起こらなかったはずはないのであり、
史書に記載されない、改竄された又は暗示にとどめられた遠因は、
日本が国民国家にならんとする7世紀から
8世紀にまで遡ることができよう。

712年「古事記」720年「日本書紀」757年?「万葉集」
は8世紀の奈良時代に書かれたものである。

 例えば、万葉集は紀貫之らによって
平安中期の政治的配慮によって
後に一部改訂(改竄)されていると言われている。
 編纂を発意した天皇名(誰が編纂を命じたのか)と
その趣旨説明であるべき序文が削除された可能性が指摘されている。

 鎖国政策は江戸幕府の専売特許ではない。
日本においては、遣唐使廃止後の平安中期や
元寇以前の鎌倉時代がそうだし、
 東アジアの隣国、朝鮮半島の歴代王朝においても
半島を統一してからの新羅は
日本との政府レベルの往来があったが
新羅を倒して935年に王建が建国した高麗は、
政府レベルにおいて日本とは没交渉であった。

 日本の記紀にあたる「三国遺事」「三国史紀」は
高麗王朝時代の12世紀に書かれたものでり、
原高句麗本紀、百済本紀、新羅本紀などの史書を大幅に改竄し
日本との攻防や相互の政治干渉など交渉事項を
極力記載しない方針で書かれていると思われる。

 倭国や倭人との戦争、その結果としての敗戦や勝利すら記載しない。
ましてや、倭国や倭人による侵略・占領・統治(例:広開土王碑文の記載内容)
王の倭国への亡命や倭国からの復帰・王の兼任などなどを
否定するどころか記載しない、または暗示に留めている。

 扶余系国家として高句麗と百済の建国年を
紀元57年で一致させるなど
そこには、半島国家としての万世一系思想と
国民国家としての意識があるといえる。


 菅原道真が遣唐使の廃止を進言したのは9世紀も後半のこと。
唐の建国から250年ほど経っていた。
唐の力は衰え、周辺諸国への影響力が極端に低下していた時期だった。

 隋から唐に変わっても、隋の楊堅は北周の十二大将軍の家柄
唐の李淵は、同じく北周の八柱国の家柄

 どちらも拓跋鮮卑が建国した北魏の流れを引き継いだ北周の将軍達であり
北朝の王朝である。つまり、遊牧民族が支配者層の王朝だったのだ。

 楊堅の楊氏、李淵の李氏も鮮卑の名字を持っている。
拓跋氏が後に中華風に「元氏」と名乗ったように
李氏も「大野氏」から李氏と名乗ったのだ。

 さて、7世紀の統一新羅の王に文武王がいる。
ほぼ同じ時期の日本の天皇に文武天皇がいる。

 15歳即位、25歳逝去の文武天皇の和風諡号は
じつにじじむさい。10年の治世でやった功績は多々あるが
一例をあげれば702年大宝律令が定められている。
藤原氏の実質的初代である藤原不比等は文武の懐刀だったようで
文武天皇その次の元明天皇の治世で順調に出世していく。
この文武治世の10年で倭は日本に変わったようでもある。

文武天皇の和風諡号の中に、25歳で崩御したにしては
実に爺むさい「豊祖父」という言葉が入っている。

25歳崩御あるいは78歳崩御とも言われている、
この15歳即位、25歳崩御あるいは78歳崩御をどのように考えるか?

 例えば、唐の圧力に耐えかねて息子の神文王に新羅を任せて
新羅から亡命して来日したのが681年(新羅で亡くなったとされる年)
即位が697年、退位が707年とすれば
来日から15年で即位し
退位したのが来日から25年ということになり
15歳即位25歳崩御と重なることになる。

文武王は637年生まれであり、78歳は715年になり
この年は、中国東北部で突厥の黙啜と共闘して
唐に反抗していた「高文簡」が唐に降伏した年と同じである。

 705年に唐に対決するために再度日本を脱出し
中国東北地方で突厥とともに戦っているとしたら
 統一新羅時代から反唐を貫いた一生として
主題が貫かれていることになる。

 黙啜の娘との間に、後に日本に大きな影響を及ぼす息子が生まれている
名前は、高斉徳。708年生まれなら728年来日時に20歳である。

それにしても、漢風諡号が文武とは実にあからさまである。

 聖徳太子 576~622
⇒天武天皇 623~682 
⇒文武天皇 637~715
⇒聖武天皇 708~757
⇒桓武天皇 737~804
の系譜は、まさに高原からやってきた遊牧民族の天孫降臨の系譜である。

この続きはまた明日。

2012年の著名人の訃報の中で
私にとって印象深いのは、12月に、米長邦雄永世棋聖が
前立腺ガンで亡くなったことだった。69歳だった。

中原誠名人との死闘、名勝負の数々が思いおこされる。
二人の対局は150局以上に上り、同一対局者による対局数で最多だだろう。

タイトル戦では、毎度のように「米中戦」が繰り広げられ
「女房といるより一緒にいる時間が長い。」(米長談話)
というくらいだった時期もある。

「自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な対局は全力で負かす」という
「米長哲学」の第一号局も、中原の順位戦連続昇級にからんだものだった。

 修行時代からプロになっても常に先を走ってきた米長に、
連続昇級を続けた中原が追いついたのがB級1組七段のリーグ戦こと。

 中原は兄弟子の芹沢と、勝った方がA級8段昇級の大一番。
米長は昇級降級に関係のない戦いを昇級のかかった大野八段と戦い
見事勝利。中原に先に八段昇級されることとなった。
中原はその勢いのままA級で優勝し大山康晴名人に挑戦
2勝3敗から連勝し、24歳で最年少名人となる。
(その後谷川浩司が21歳で戴冠)

米長が勝ったことで、中原・芹沢戦は、ただの兄弟弟子戦から
勝者昇級の大一番になったのだった。
この米長哲学は後の棋士たちの戦い方に大きな影響を与えることとなった。

言動はさわやか流、将棋は泥沼流

50歳で中原から名人を奪取
翌年、米長から名人を奪ったのは羽生善治だった。

一時代を画した将棋界の巨人の逝去を惜しむ。

合掌。

 午後1時過ぎに○○電気からセットアップ担当の方が来て
自分では出来なかった何個かの作業を行ってもらった。

 90分程で、メールの修復や
プリンタの無線適用などを行ってもらい
これで完了

 パソコンの基本的な機能は全て揃ったことになる。

 思えば、昨年4月の落雷時のモデム不調から
随分遠回りしたものだ。

 モデムを交換してもらい、外付けのハードディスクを買い、
パソコンを更新し、自力のセットアップでは足りない部分を
お金を払ってフォローしてもらった。

 新規更新購入の決断から約一か月で完了したわけだが
昨年7月から今日までの自分の悪戦苦闘は無駄になってはいないと思う。

 色々と的確なアドバイスをしてくれたTOBI氏にも感謝。


 往路途中棄権の中央大学と城西大学の
復路は参考記録となる。
母校中大の5人のランナー
 6区 代田    59分01秒
 7区 徳永 1時間06分30秒
 8区 永井 1時間06分11秒
 9区 相場 1時間14分01秒
10区 塩谷 1時間15分37秒だった。

 8区永井の走りは見事で、区間賞より35秒早かった。
しかし、9区相場、10区塩谷は失速し、
区間賞記録より4分以上遅かった。

 復路のトータル時間も城西大学の記録に
2分くらい遅かった。

 中大の二日間を見てみるとピーキングに問題があたのか
持てる実力を出し切れなかった感が強い。

中大は、来年は久々に予選会からの箱根挑戦になる。
今年の総合優勝は、予選会から出場の日体大。

彼等に出来て、中大の選手達にやれないことはないと思う。





 二日午前7時に起床、外を見れば降雪に。
積雪も少し目立っており、息子を起こして
一緒に30分ほど除雪。

 すぐ近くの自販機に缶ジュースを
買ってきてもらい、二人で一服。

 息子は再び寝床に行ったが
アッシは、8時のスタートから見届けていた。
昼過ぎに妻の実家への年始の車中ではラジオ中継

 義父母に新年の挨拶をしているうちに
レースは終盤になっており、
箱根のゴールにランナーが次々と戻ってくるが
我が母校の選手の姿が見当たらない。

 なんと、あと1.5キロで途中棄権していたのだ。
連続出場85年、優勝14回の名門チームが、
28年続いたシード権を失った。
 選手層も厚くなって、今年こそはと密かに思っていたのだが
願いは打ち砕かれた。

 それにしても、強風と急激な気温低下など
選手のコンディションの維持は、
この季節もあってとても難しいことだと思う。

 往路は途中棄権になってしまった訳だが
明日は、復路のレースを5人の走者とチーム全員の健闘を願って
最後まで見ていようと思う。


 ニューイヤー駅伝の開始時間前に起きて
新年最初の新聞を取ってくる。

 初売り広告で分厚くなった新聞の束を
振り分け、特集記事やTV欄に小分けにして
記事を読み始めた。

 今年のこれからを思うとき
去年はどういう年だったのかを思いおこしてみる。

 年の瀬総選挙で、再び政権交代があった。
消費税増税法案が、民主・自民・公明3党合意で可決された。
 
 大震災から間もなく2年になるのに
自宅に帰れない人が30万人以上もいる。
新政権与党には、選挙の時だけ被災地に来るのではなく
被災地に、被災者に寄り添った政治をして欲しい。

 3年前、自民・公明にノーを突きつけた有権者は
うそつき・頼りない民主党にノーを言った訳だが
自民党の得票は、前回の惨敗を下回り
民主党は4割にも満たなかった。

 自民党が信任されたというよりも
民主党やその他に信がおかれなかったといえよう。

 多くの課題が自公政権時代に発生し
そのほとんどを民主党政権で解決出来ず
そのまま自公政権に持ち越された。

 原発をどうしていくのかという
大きな問題も、原発稼働時の安全確保とその保障とともに
大きな問題として新たに残されたと思う。

 働けなければ、生きていけないが
今日の飯のために、子孫の未来を犠牲にするようなやり方は
もう通用しないだろう。

 先送りばかりしてきた問題に何らかの答えを出す
タイムリミットは迫っている。





| HOME |


Design by mi104c.
Copyright © 2013 MITSUの山・競 時々戯言, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。