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 首都圏に住む方々の故郷が、東北である方は多いのではないか?
 二代前、三代前に、東北から上京し、
 東京人として暮らしている人は多いのではないか。
 
 東北は、これまで、首都圏への人の供給先であり続けた。
 これからもそうあり続けるのか?

 アッシの父は7人兄弟で、
 伯母は全て、県外で暮らしている。
 父方の従弟は、全部で11人
 その子供たちは、何人になるのか?

 彼ら、彼女らのルーツの片方は、東北にある。

 東北に由縁のある方々に、ふるさと応援団になって欲しい。

 故郷に来て欲しい、故郷の産物を買ってもらいたい。

 それが、普通に生活しながら、東北を支える力になるのではないか?
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 復旧と復興は、大きく違う。

 復旧 本の姿に復すること。
 復興 新たな姿で立ち直ること。

 今生きている人たちが、何度も、何度も
 大津波を経験した三陸沿岸は、
 防災のまちづくりを、気の遠くなる年月をかけて
 長年に渡って行ってきた。
 防災意識も高く、避難の方法にも、
 「命てんでんこ」の言葉に代表されるように
 語り継がれ続け、かつての経験が生かされてきた。

 しかしながら、それこそ、当に100年に1度の
 猛烈な大津波によって、町のほぼ全域が流され
 瓦礫と汚泥の原野、原爆投下直後の広島や長崎
 敗戦直後の東京のような風景が、広がっている。

 検証として、津波が到達した高さの確認が行われ始めている。
 ここまで来たのか、この高さまで来たのかという驚きと共に

 次を考える場合の、津波到達範囲の対象地域が、
 大幅に拡大(標高の上昇)したことを認識しなければいけないようだ。

 復旧を目指すのか、復興を目指すのか、
 それぞれの自治体の住民に共通の認識が求められる。

 将来設計における想定は、全面的に見直しを迫られる。

 復興のヒントは、奥尻島にあるのではないか?

 計画停電による生産への打撃も顕著になってきているが、
 このピンチをチャンスに変える方法が模索されている。

 生産現場では、夜間電力利用の勤務シフトや、
 計画停電解除からの速やかな操業開始までの工夫が始まっている。

 私達はこの事態から、何を教訓として掬い上げ
 何を次の行動に生かすのだろう。

 省エネ技術、省エネ行動、省エネ機器の開発、
 生産性のさらなる向上

 かつて、私達の父祖は、66年前、
 敗戦の焼け野原、瓦礫の山から
 食料不足、燃料不足、仕事不足の日々から
 10年で、奇跡の復興を遂げた。

 まず、命
 命がつながれば、
 次は仕事学校を含めた日常生活、
 そして財産。

 財産形成に公金は使わないという建前では、
 被災地の再建に、この国難といえる
 長期化が確実な緊急事態は
 解決しないだろう。


 

大震災を10回書いてきた。

災害時の自分の行動は、
後にもう一度振り返るとして
2週間が過ぎた現在、
再建への道を自分なりに模索してみたい。

避難所には、人が溢れている。
日々の避難所暮らしの中で、老若男女の役割が、出来つつある。

一方、被災した市街地には、瓦礫の山
人手が追いつかない、資源リサイクル会社や廃棄物処理業者。

被災の程度が少なくても、仕事を失った人々がいる。
あちこちで被災に伴う仕事の喪失、営業不振による解雇で
職を失っている人々がいる。

復興事業で、職を失った地元の人を雇うことは出来ないものか?

ボランティアで賄うだけでは出来ない、
多くの人手が必要な仕事は山ほどあるだろう。

全てが流された現場には、様々なものが
ゴミ、瓦礫になって散乱している。

ボランティアの「思い出探し隊」が探す思い出の品々と、
リサイクルできる物の分別とは、質が違う。

機能分担が必要だろう。

貴金属は、紙幣や硬貨は
遺失物として届けられるのだろうか?
何処に、誰が保管するのか?

発見された有価物は、最終的に誰に帰属するのだろう?




 今日も眠りが浅い。
 昨日は10時前には、布団にころがり
 睡眠薬代わりの本を読みながら、いつの間にか
 眠りコケ、目覚めれば、午前3時30分。

 どうせ眠れないならと、起きだして、
 街中に自転車を走らせる。
 見えてきた、車列ができてはいるが
 信号の間に収まっているようだ。
 給油待ちの列が、昨日の日曜日よりも短く感じられ
 あわてて、自宅にUーターン

 新聞と、携帯と、ヘッドランプ、本を片手に
 残り少ないガスにおびえながら
 列に並ぶ。
 すぐに、エンジンストップ。

 ヘッドランプの明りで、新聞を読むが
 寒くてしかたがない。

 近くの自販機に、ホットの缶コーヒーを買いに行き
 股の間に挟んだり、足をこすったり。
 あっと言う間に熱が奪われて、缶コーヒーは冷えていく。

 また寒くなって、もう一本買出しに。
 列の側を歩き回り、並んだ台数を数えてみると
 自分は40番目くらい。
 そんなことをしているうちに約二時間が経った。

 午前6時前、携帯を取り出して、妻にメールを送ったら、
 なんと充電が切れてアウト
 仕方が無いので、歩いて10分の自宅に早足で戻り、充電。

 最初の行動時に、防寒着を着ればよかった、
 スキータイツを履けばよかったと思っても
 後の祭り。 間も無く出勤の時間が迫る。
 
 出勤スタイルに着替えてコートをはおり、
 マフラーで首を防御して車に戻る。

 7時に車列が動き出した。
 前の車が停車するたびにエンジンストップ。
 3回ほど繰り返すうちにGSの目前に。
 7時12分、給油開始。
 
 一度ストップしてからも
 給油タンクの入り口付近に燃料が見えるくらいまで
 ちょぼちょぼと給油。
 満・満タンに詰めることが出来た。

 リッター157円と値段は高いけど、とにかく給油に成功。
 前日の日曜日は、午前5時に様子を見に行って
 あまりの列の長さに驚いて、給油できなかったので
 余計にうれしかった。

 ガソリンだけでなく、灯油も購入がままならない。
 土・日には、灯油の給油場所にも、
 タンクを持参した人々の列が出来ていた。

 妻の実家の両親も、灯油が残り少なく、風呂も沸かせないという。
 妻の友人から、今朝給した場所が、
 ほとんど並ばないで給油できるようになっているというメールがあり
 妻からの連絡で、我が家の近くのGSに給油へ、
 3000円分と、その時間は給油制限になっていたが当座分は給油出来たとか。
 ついでにこちらに回って、風呂にも入ってもらったらしい。
 妻の両親が自宅に戻る途中に、そのGSの側を通ったら、
 閉店していた。 間一髪である。そのGSは、明日も営業する予定。
 
 市内には、営業していないGSもまだまだ多いが、
 連日営業、早い時間帯には給油制限なしの場所も出てきたということは
 改善の兆しが見えてきたことなのだろう。

 とはいえ、このガソリン、灯油、重油の供給不足の状況は、
 当分続くのだろうな。

 帰りの車中は、ダンキ運転なし、暖房なし、ふかしなし
 省ガス運転であった。
 
 

 25日の金曜日は、友人2名と、
市内の居酒屋で酒を酌み交わした。

 自粛的延期もありえたのだろうが、
 3人とも、こんなとこだからこそと決行。

 何故か、なかなか酔わない。
 最近、酒が相当弱くなっているはずなのに
 ほとんど酔わなかった。体調が影響しているか?

 色んな話が出た中で、記憶に残るのは
 観光や、ホテルの宴会部門
 居酒屋、やアミューズメント施設などへの影響が
 既に出始めているということ。

 キャンセルなどで開店休業状態となり、
 人員の解雇や、資金繰りの悪化による
 倒産といったニュースが
 間も無く流れてくるだろうということ。

 いま、自粛ムードが蔓延し始めているが
 電気は節電しても、普通の暮らしを行うことが
 そのまま、景気対策にもなるのだとも思う。
 これも、自分が出来ることの一つかもな。

 全国から、支援物資が続々と東北各地に運ばれている。
 陸路の大動脈、東北道も一般車が通行可能になった。
 物が少しずつ流れるようになってくれば、
 復興支援への、次への一手は、経済活動か。
 東北へ来て欲しい。
 ボランティアだけではなく、観光客としても東北に来て欲しい。
 土産物を買い、東北にお金を落として欲しい。

 先の長い、時間が必要な復興になると思う。
 仮設住宅が建設されて、住人が戻って来ても、仕事が必要だ。

 復興に向けては、資金も人手も足りないと思うが
 被災現地の後片付けに、再建に、
 被災住民を一人でも多く雇って雇用を生み出し
 現地での金と物の循環が必要になってくる。
 
 買い物が出来るように、生活が成り立つような工夫が必要になるのではないか。

 

 パソコン、ゲーム、テレビ、
 冷蔵庫、暖房、風呂、炊事、炊飯、
 洗濯、アイロン、換気扇、
 電話、ファクス、
 ありとあらゆるものが、電気で動く生活を選んでもう8年

 家を建てるとき、オール電化を選んだのは
 阪神淡路大震災の時、一番早く復旧したのが
 電気だったということも大きかった。

 三世代同居の我が家では、10年先を思い、
 老親に直火を使わせたくはなかった。
 ストーブの給油の失敗、ガスコンロの消し忘れ、風呂の空焚き
 実際にあったことがらであり、よく火事にならなかったものだと思うが
 火事の原因を出来るだけ排除したかったからだ。
 
 どんな生活をしていても、心身の衰えに心配は尽きないが、
 少しも気持ちの休まる暇がない生活はいやだった。
 オール電化の生活でも、温水のダシッぱなしなど
 心配はあるが、致命傷にはならないで済んでいる。

 これで、電気自動車になったらどうなるのだろう。

 一個一個の機器は省エネタイプになってきているとはいえ
 トータルすれば凄い電気の量である。

 原子力発電に頼ってきた日本の電力供給政策に、今回の大震災は
 軌道修正を求めている。
 だけではなく、生活の仕方、仕事の仕方にも
 軌道修正を求めているように思える。

 ちなみに、我が家の太陽光発電は、年間3200KWくらい。(3KWhです。)
 雪国ながら、東京並みに発電しているのだが
 その発電量は、一ヶ月分の暖房消費電力で消えてしまう発電量である。

 今の所、電気は、発電しても貯めておけない代物である。
 蓄電技術は、これからの分野。
 小型、軽量、大容量に向けて、技術革新が求められる。
 
 蓄電が出来れば、災害対応も
 チョッと違ってくるような気がする。
 
 
 

 今日も、給油渋滞である。
 進入方向を特定して、以前ほどは酷くなくなってはいるが
 それでも、道幅の狭い所では、渋滞してしまう。

 去年の健康診断で、胃潰瘍になったアッシの薬も
間も無く無くなる。

 仕事の状況とにらっめっこしながら、
 行かないとな。
 病院には自転車でいくしかないか。
 母の定期通院日も迫っている。
 ガソリンが給油出来なければ、それもアウト

 今週中に、ガソリン不足は解消してくれないかな?。

 今日の帰りには、小型ではあるが何台かタンクローリーが
走っていた。それも、あっという間になくなるのかな。

 満タン詰められるようになったら、自然に解消するのだろうが。
 
 ああ、我慢、我慢の日々が続く。

 水も、電気も通っているが・・・・ である。

 大震災から10日目の今日、
 奇跡の生還を伝えるニュースが飛び込んできた。

 80歳の祖母と16歳の孫が救助された。

 通常、72時間が救出の分かれ目と言われているが
 なんと、10日間も生き抜いていた2人

 奇跡を起こす力は何処にあったのだろう?

 2人であったこと。祖母は、足が挟まれて動けなかったという
 寒い中、屋根に登って、救助を求め続けた男の子の諦めない気持ち

 そして、復興の方に、自分を含めて人々の関心が移ろうとするなかで
 捜索を続けてきた消防や、警察、自衛隊などの関係者の執念が実ったものか。

 奇跡は起こるものではなく、起こすものなのだろう。

 小さな力を集めて、奇跡を起こそう。

 明日は、出勤だ。雨予報ではあるが
 自転車通勤や節電など 今、自分がやれることを
 自分がやらなければならないことを
 確りやってこようと思う。



 大震災から一週間、
 家の中は掃除もままならず、埃っぽい。
 アトピーの娘がかゆくなりそうな状態。

 今日、土曜日の朝は、冷え込んだが、
 日中から気温が上がり、妻は、久々に掃除。
 妻が掃除を始める前に、自分も換気のために
 大きく窓を開け放って、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 すぐ側の接骨院に母を連れて行き、
 治療が終わって迎えに行ってから
 自分も一週間ぶりにお世話になる。

 治療を受けている患者と先生との話題は、
 自然に、給油渋滞の話しになった。
 柔道整復師の先生も、ガソリンの給油をする暇もなく
食料の買出しは、徒歩とのこと。
 そういえば、木曜日の夕方、雪かきをしていると、
夫妻で買い物を抱えて帰ってきたっけ。

 庄内地方では、給油渋滞もなくなったそうで、
山形にもタンクローリーがそろそろ来るだろう。

 やっとというか、テレビでも給油渋滞のマナーの悪さ
(車の置き去りによる場所取り、
 他人の住居前を占拠しその家の車の退出ができない、
 割り込み等によるけんか・・・・etc)が放送されていた。

 自分の車は、もう、ガソリンがほとんどない。
 給油は、遠距離通勤を続けている方や、
 商用で長い距離を移動しなければならない方には
 死活問題であろう。
 バスの運行本数も増えてきており、
 明日からは、県内のJRも、運行区間が増えるようだが、
 もう少しの辛抱と、腹をくくって
 この3連休も、ガスを充填する
 列に並ばないようにしようと思っている。

 ペットボトルの湯たんぽ代用や、
 鍋を使った炊飯など、工夫して避難生活を送る人々の姿も
 テレビに映し出されていた。

 陸前高田では、仮設住宅の建設も始まり、
 復興に向けた動きも見られるようになった。

 一方、双葉町のように、町長以下、町ごと避難のニュースも。

 今日も、一日、体が揺れているような感覚に何度も襲われた。
 長い航海の後に、陸に上がった時のような感覚である。

 眠いのに、また今日も、この時間まで起きていてしまった。
 お雛様も、息子、娘に手伝ってもらって片付けた。
 震災後に切れてそのままになっていた階段の電球も取り替えた。
 久々にラーメンが食べたくなって、
 近所のラーメン屋に行こうと思ったが、休業だった。

 電気はあるが、ガソリンはない休日の二日目
 さてさて、明日は、何をしようか。

 

 眠りそびれて、真夜中にこのブログを書いている。

 一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ

 これは、戦地から妻に宛てた戦国時代の武将の手紙である。
 
 火事は、もとより自家だけではなく、隣家への迷惑

 お仙とは、生まれたばかりの息子、仙千代のこと
 腹をすかせて泣かすことのないように

 武門にあっては、馬は大切な生き物である。
 せっかく生きて還ってきても、
 馬が痩せていては、次の出撃に
 ひいては、自分の生死に関わる大事

 戦場にある自分の不在中の妻への、短くも、的確な指示が書かれている。
 
 さて、炊飯のこと。
 芯のある堅い飯は食えないが、
 やわらかすぎる飯は、喉を通るもの。
 おかゆになっても食べられるが、
 ふっくら炊き上がったご飯が食べたい。
 
 カップラーメンが1食分しか無かった我が家では、
 金曜日の夜に食べてしまい、土曜日の朝と昼は、残りご飯のオジヤ
 土曜日の夕刻、停電から回復しない我が家では
 暖かいご飯が食べたいということで、登山用品による
 ガスカートリッジとバーナーを使って炊飯することにした。

 そこでコッヘル炊飯の極意は、
 水は多めに、
 火力は、始めチョロチョロ中パッパ
 仕上げは「お仙泣くとも蓋取るな。」
 なのである。

 所要時間は、2合炊きで約20分
 
 山上と違って、沸点が高いから難しくないように思えるが
 (山上では、水が100℃以下で沸騰してしまう。)
 噴出す水をいかに抑え、米に水分を行き渡らせるか
 が課題となる。

 コツは、コッヘルの蓋を押さえる事。
 吹きこぼれを抑えこむため、湯気が立ち始めた頃に
 少し重い皿を、コッヘルの蓋の上に載せてみた。 

 炊き上がり後も、すぐには蓋を取らないで、
 コッヘルの上下を逆にして、蒸す。
 すると、火に近かった方の米にも
 水分が行き渡るのだ。  

 待つこと5分。 恐る、恐る、蓋を取って
 茶碗にご飯をよそう。
 子供たちは、美味いと言ってくれた。
 
 2合のご飯はあっと言う間に無くなって、
 底にこびりついた飯粒も掬ってみた。
 なんと、コゲもほとんどない。

 山上では、かなりのコゲ飯が出来てしまうのだが
 下界の沸点の高さが幸いしたようだ。 

 

 今日で、あの日から一週間

 長いような、短いような
 濃密な時間の連続がもたらす疲労感が
 じわじわと体に来ている。

 午後2時46分、被災各地で黙祷がささげられていた時間

 自分はといえば、担当部署の新年度に向けた体制の素案を作るため、
 また一緒に仕事をすることとになった部下達と詰めの作業を行っていた。

 異動する者、しない者。それぞれの思惑を考慮しながら、
非常事態対応と通常業務対応を両睨みしながらの作業である。

 素案を作成し、上司の判断を仰ぐ。
 上司も、異動である。上司の引継ぎ資料の準備もしなければならない。
 流浪の民のごとく自分の担当する部署は、毎年所属の課名が変わり、
 配属が変わり、毎年辞令を貰うこととなるが、仕事は一緒である。
 大きな変動の節目にある制度への移行を恙無く行えるよう
準備するばかりではあるが、災害対策本部への要員応援や
現場で起こる様々な苦情や問題照会への対応が待っている。


 夕刻には、この連休中の応援要員の名簿提出を求められた。
 実家が被災した職員もおり、
 別居していた家族が避難して来ている部下もいる。
 この連休を利用して、それぞれの用事もある。
 ダメな時間帯と可能な時間帯を聞き取って
 午前と午後、都合6人の割り当てに、一人一回を割り振り
自分は、月曜日に、災害対応に、通しで出勤することとした。

 今朝の市内の様子を思い起こせば、給油渋滞は相変わらずで、
 午前7時の団塊で、営業予定のGSの回りを、
 とぐろを巻くように車が並んでおり、営業開始を待っている。
 今日になって、やっと、給油整理券を配るスタンドも出てきて
少しでも渋滞を緩和しようという工夫の跡が見られるようになってきた。

 夕方の情報では、海沿いの庄内地方では、
給油渋滞は解消されたとのこと。
 昨日、酒田港に室蘭からタンカーが入港したとの情報が入ったが
さっそく威力を発揮したのだろう。
 間も無く、内陸地方にもタンクローリーが入ってくるだろう。

 山形市内の避難所にも他県からの避難者が大勢来ている。
 生後まもない赤ちゃんとその家族に、自宅の空き部屋を提供して
避難所から異動していただいた方のニュースもあり、
助け合いの輪も広がってきている。




 翌日の土曜日は、6時30分に完全起床
 幸いな事に、水だけはある。断水していなかったのは
不幸中の幸いで、電気温水器は1000リットルタンクで
 お湯も出た。
(あとで聞いたが、飲めるそうだ。
 断水しても自家用で保存しているようなもので、心強い。)
 トイレットペーパーが無くなるということで買出しへ
 ダイユーエイトは、店頭販売を続けていた。
 並ぶこと1時間で、なんとか、
トイレペーパー、ビスケット、単四電池、飲み物数本を購入できた。

 停電は、12日、土曜日の夕刻、20時30分過ぎに回復した。
 周辺が次々、停電から通電へと回復していく中で、我が家を含めた
3ブロックほどが、闇に沈んだままだった。

 隣の家からは、電灯の明りが洩れているのに
我が家の前の通りは、どこも真っ暗
 暗い気分に沈んだその時、突然、電気が点いた。
やったー、解放された?。

 ラジオよありがとう。有意義な情報を沢山提供してくれた
 特に有効だったのは、ペットボトルが湯たんぽ代わりになるという
リスナーからの情報。
 早速、お湯を沸かし、500ミリリットルのペットボトル2本に詰め、
タオルで包んで、ベッドで震えていた母に渡した。
 結果として、結構な熱さのペットボトルは、
昼過ぎにつくった代用湯たんぽとして機能し、
停電解除の時間まで母の足元の暖かさを保ってくれたのだ。
 
 被災地の避難所にいる皆さん、辺りに散乱している廃材を集め
 焚き火をしている方々がいたら、鍋でもなんでもいいから
 雪を少しずつ溶かしてお湯を作り、ペットボトルに詰めて、
 暖を取ってください。
 
 新聞や紙類も、床に敷けば、直で座っているより、寒さが和らぎます。

 しかし、停電回復の報告が、アチコチから伝えられるようになると
ちょっとした気持ちの変化が起きた。

 皆が停電している時には感じなかった、微妙な心境の変化

 他人の幸福をねたむような、なんで自分の所だけ
未だなんだという思い、ひがみである。

 その思いは、やがて日曜日からの出来事につながっていく。

 

 停電で、テレビはダメ。
 情報は、ラジオからだけ。
 AIWAの携帯ラジオから流れる音声だけが情報源だった。

 登山用品の中で、真っ先に取り出したのがラジオ
 部屋が暗いと、それだけで気が滅入ってくる。

 ランタンの明りが弱い、単一電池が切れ掛かっているのだ。

 テレビのリモコンやゲーム機から単三電池を取り出して
ヘッドランプや懐中電灯にセット

 とりあえず部屋が明るくなって、
暖かい飲み物を口にして、ほっと一息ついた。

 そうこうするうちに、妻が買出しから帰ってきた。
 簡易ガスコンロを買ってきたという。

 これで、煮炊きは十分だ。
 それでも停電が長期化することを考えて
 残り少ないガスカートリッジのバーナーを
使う事にした。

 寒くて眠れないかもと思い
シュラフを4人分出したが、
 蓄熱は余熱を持っていて
少しではあるが部屋を暖めてくれている。

 冷蔵庫には、僅かであるが、冷や飯が残っており
 オジヤにして食べることにした。
 ラジオを聴きながら布団に横になっていたが
どっと疲れが出てきて、靴下を履いて、服を着たまま眠ることにした。
 余震は続いており、浅い眠りの中で、何度か目を覚ました。
 

 悪夢の瞬間から、もう三日が経つ。

 3月11日金曜日午後2時46分

 講堂で、新システムの説明を受けていた最中に
激震が襲った。
 机の下に身をかがめ、揺れが収まるのを待っていたが
余りにも長い長い10分間だった。

 現場は、説明会どころではなくなって、
自然散会となり、3階の自分の職場に移動。
 
 すでにDMATの活動が始まっていた。

 停電になって、一人一台のパソコンは次々にダウンしていく。

 説明会に参加していた自分のパソコンは、待機中のためか
他の人のパソコンより30分ほど持った。

 携帯電話の画像を覗いていた部下の画面には
名取市を飲み込む津波の様子が映し出されており
声を失った。

 市内は停電、信号のない道路を、奇妙なバランスで
交互に通行していく車列。

 交差点には、交通整理の警官の姿は無いのに
南から北進が続くかと思えば、東から西進が流れる
少しずつ、車が移動していく。
 けたたましいクラクションを鳴らす車も無く
整然と進んでいく。

 思いのほか早く帰宅しても、真っ暗。
ろうそくに火を点して、子供たちが食卓にいた。

 妻は、当座の品を買出しに行ったという。
納戸から、登山用品を引っ張り出す。

 コッヘル、バーナー、ランタン、予備電池
 ガスカートリッジ、懐中電灯とヘッドランプ
軍手にライター
 とにかく湯を沸かし、暖かいものを口にすることとした。


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