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 五日目、もう日本に帰る日である。

 朝は、ゆっくり起きたが、荷造りに時間がかかる。

 現像にも行かなきゃな、なんて思っているうちに9時。

 現像屋の開店時間になった。
ホテルから歩いて5分ほどの所にその店はある。
 10時30分までにホテルに戻る必要があることを伝え、現像を依頼。

 フィルム3巻で$25

 一旦、ホテルに戻って、時間を見計らって、再度街中へ。

 店の前を通り過ぎようとしたら、店のオバサンが、MR、MRと呼びかけてきた。

 彼女曰く「10時20分過ぎになるという。」
 迎えのバスの時間ギリギリだが、なんとかなるさとOKした。

 15分程の空き時間に、土産物屋を見つけて物色。

 カラフルなオーストラリアの地図のTシャツと
 白黒のコアラの絵のTシャツ1枚を各$6で購入。

 これが、自分に対するお土産である。

 出国手続きは行列にならんで40分ほどかかった。

 13時20分、離陸。 

 飛行50分ほどで機長から機内放送。
 注意喚起され、覗き込むと眼下には、蒼い海と珊瑚礁の島々。

 IMGP1079.jpg


IMGP1082.jpg

 
 さらば、珊瑚礁である。

 後は、山形まで、400キロの軽自動車運転が待っている。
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IMGP1047.jpg

 早朝から、エクスプラネードは、ウオーキングの人々が行き交う。
その側では、おじさんがフェンスの修理をしている。
気温は、この時間では19℃くらいで、とても涼しいのだが、
日が昇れば、急速に暑くなる。

IMGP1071.jpg
 
 簡単水中カメラでとった写真を、最終日の帰国間際の時間で、プリントしてもらった。
1台$8だった。所用時間70分。

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 ホテルには、プールもあったのだが、とうとう入るチャンスはなし。

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 白亜の市立図書館が、蒼い空によく映えていた。
 


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 野生のインコ。鮮やかな赤と緑は、しっかりと保護色になっているのが分る。

 河口に開けた港から300メートルほど歩くと、一面の干潟が広がっている。
 沖合い1キロくらいまで、続く大きな干潟である。

 そこは、野鳥の楽園。早朝のエクスプラネードには、バードウオッチングを楽しむ人も多い。

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 野生のペリカン。巣は、郊外の森?

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 二日目の昼近く、潮が引いた干潟に、大量のカニが巣穴から出てきていた。
 餌が豊富な干潟。こいつらも、鳥の餌になっちゃうのかな。
喰われても、喰われても次々に生まれてくる。

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 雨で二日順延した大会は、24日の月曜日に決勝が行われ、
中京大中京の43年ぶりの優勝で、大会の幕を閉じた。
中京の優勝は、加藤投手で春夏連覇を果たした昭和41年以来。
この年は、高校野球という文字が、自分の耳に始めて入ってきた年でもある。

 毎年のように、高校野球を見るようになったのは、それから3年後、小学校5年の夏
太田幸司投手の三沢高校が決勝に進出した昭和44年以後のことだ。

 中京の打撃は凄かった。特に、3番・4番・5番の活躍は特筆もので、
ビッグイニングを作る原動力になった。

 日本文理の打撃も良かった。5試合全てで二桁安打を放ち、
3回戦、準々決勝で二試合連続の毎回安打という新記録をうちたてた。

 明豊高校の今宮君、花巻東高校の菊地君、帝京高校平原君、
西条高校の秋山君、智弁和歌山高校の岡田君など

 豪腕、剛速球の投手が、連戦の疲労で打ち込まれる中、
決勝に残った両チームのエースは、コントロール重視の打たせて取るタイプ。

 140キロを越す速球をコンスタントに投げるわけではないが、
キレのいい変化球を低めに集め、内野ゴロを打たせ、
テンポの良い投球とあいまって、味方の好守備を引き出していた。

 県立岐阜商の戦いも見事だった。PL学園、帝京と優勝候補を連破しての4強。
日本文理との準決勝も伊藤投手のベストピッチに決勝進出を阻まれたが、
完封負けを阻止した9回表の攻撃に、復活した伝統校の意地を見せてもらった。

 関西学院の戦いも、記憶に残る。特に、優勝した中京に一歩も引けをとらず
九回、サヨナラホームランでの敗戦は、惜しかった。
先行されても、シブトイ攻撃でおいついたが、あと一歩及ばなかった。  
 ノーシードから、激戦の兵庫を勝ち抜いた底力を存分に示してくれた。

 初陣では、立正大の戦い。2勝して8強は見事。
主力選手がインフルエンザで戦線離脱が残念だった。
ベストの状態で、準々決勝を戦って欲しかった。

 横浜隼人も、元気な時期の花巻東と当ったのは籤運だろう。
もう少し上に行って当っていたら大会の台風の目になっていたと思わせる
チーム力の高さだった。阪神タイガースそっくりのユニフォームが甲子園に映えた。
エースの今岡君は二年生。来春、来夏も神奈川を勝ち抜いて出てきて欲しい投手だ。

 東海地区が、緒戦全勝。
三重高校は2回戦、常葉橘高校は3回戦で敗れたが、優勝と4強を出した。

 三重県は11連敗中、愛知、岐阜も中々緒戦を突破出来なかった。
 強い東海地区が、完全復活したといってよいだろう。

 追記 9月26日 
 この記事を書いている途中に、消えちまったと思っていたら
 下書きとして残っていたので、再度、掲載します。
 調子良かったのにな。アッシは、本当にパソコンの操作が下手糞です。
 



 四日目は、グリーン島より更に沖合いのポンツーンへ

 ポンツーンは、沖合いに浮かべた桟橋のこと。

 船を接岸したまま、シュノーケリングやダイビング、水中ウオーキングなどが楽しめる。

IMGP1009.jpg
 サンラバーのカタマラン

 今日行くのは、モアリーフポンツーン。
ケアンズから90分の航海。
 10時に出航、11時30分にモアリーフポンツーンに接岸。

 船内では、シュノーケリングの説明や、現地での注意事項が日本人スタッフから説明済み。

 さっそく、用具を調えて、珊瑚礁へ。

IMGP1029.jpg
シュノーケリングデッキ ここから、珊瑚礁へ泳ぎだします

 10mほど泳ぐと、グリーン島の浅瀬の海とは違った光景が目に入ってくる。
 水深は、2mから8メートル。
 珊瑚の種類も多い。

 簡単水中カメラ($25)を2台用意、息子は、バシバシ、シャッターを押している。

 深い海からダイバーが上がってきて、一緒にナポレオンフィッシュもやってきた。
IMGP1083.jpg

 その方が、高性能水中カメラで撮った写真の1枚がこれ。
 1枚$20なり。帰りの船中で、ズラリと並んだ写真の中から
自分達が写っていて、よさそうなのを選んで購入したものを、
日本に帰ってから、デジカメで再撮影してアップしたのがこれ。

 ポンツーン滞在時間は4時間30分。昼食も、桟橋のテーブルデッキで。
 船内の1階に並べられたビュッフェから、皿に盛り付けて運んでくる。

 季節的には、初夏の陽気で、海水温度は低めの、26度
 30分も海にいるとライフジャケットを着用していても
体が冷えてくる。おしっこも近くなる。

 15時には早めに着替えて、体温維持に日光浴。
 ポンツーンの後部デッキで行われた魚の餌付けを見ていた。

IMGP1032.jpg

 16時に人数確認のうえ、出航。17時30分にケアンズ港に帰港した。

 行きは、風が強く、波があって相当揺れた(ゲロしている方が多くいた。)が、
 帰りは、静かなものだった。

 

 5年ぶりの、ケアンズそしてグリーン島

IMGP0996.jpg 
水が引いた跡が分りますか?30分前までここのチェアーにいました。

 グレートアドベンチャーの便は、2便 8時30分と10時30分
 前回の反省を踏まえて、出発は、遅い便にした。

 引き潮の時間帯になるようにしたのだ。
 満ち潮だと、水際から珊瑚がたくさんある水域まで遠くなって、
 浜辺に戻るのに時間がかかるのだ。

 11時15分、45分の航海でグリーン島に到着。

 波もおだやかで、双胴船の揺れは少なかった。
 船酔いしやすい人でも十分耐えられる短い航海時間である。

 インフォメーションで、スキューバ用具を借り、砂浜へ。
 一周1時間足らずの小さな島である。

 ビーチパラソルとチェアー2脚のワンセットを$30で借りる。
前回は、現金を持っていかなかったので借りられなかったのだ。

 安全を考えて、浮き輪も二つ準備した。
 ライフジャケット無しでは、ちょっと自信がない人にお勧めである。
 疲れたり、水中眼鏡に水が入ったり、息継ぎが苦しくなったりした時便利である。
 
IMGP0988.jpg

 時計も、完全防水時計を着用(4年前にこの日を想定して買ったのだ!)
水中にいる時間がわかるとこれまたなにかと便利。

 長く水中にいると体が冷えてくる。
 5年前には、時間が分らず、気がついたら出航時間間際で、
あわてて着替えてギリギリ搭乗した反省を踏まえた。

 前回に比べて、時間に余裕をもって行動ができたのだ。

 IMGP0987.jpg
グリーン島にて


 9月19日から9月24日の早朝まで、オーストラリア ケアンズの旅に行ってきた。

 5年ぶりのケアンズの街は、到着日が日曜日ということもあってか、とても静かだった。
が、それだけでは、なかった。
 ここにも、不況の風は吹いていた。

 5年前にはあった大きな通りに面した店に、クローズとか
レンタルとかの提げ札が。

 ラグーンプールには、子供や大人の姿が見えていたが、
なんとなく、ひと気がまばらなような気がした。

 初日は、山形から成田に車で8時間かけて移動、夜9時台の飛行機でケアンズへ。
二日目の早朝、ケアンズ空港について、睡眠不足とチェックインの時間を
ツアー説明と、市内をぶらぶらして時間を過ごし、午後2時のチェックイン後に
部屋で 爆睡して二日目は終了。

 グリーン島のツアーが三日目だった。

 前回は、インターコンチネンタルで、仙台発グアム乗り継ぎのケアンズ
帰りのグアム仙台便が故障で飛行中止、成田行きに強制的に乗り換えさせられて
成田エキスプレスと新幹線を乗り継いで、仙台からバスで仙台空港に
それから車で山形へと、やっとの思いで自宅に戻ったというニガーイ記憶がある。

 明日へ続く・・・・

 政治家の発する言葉の軽さに
辟易していたこのごろに、
遠い果てしない長い道のりと思いつつ、
期待してしまう。

 言葉に、力よ、蘇れ。

 言葉に重さが戻るには、実行あるのみなのだが、

 どうせ、出来ないだろう。 とか
 どうせ、変らないよ。 とか

 新政権の新閣僚の就任会見を見聞きしていて、
彼らの語る言葉が、重さを持って、現実の変化に
繋がることを期待している。

 政権交代を、選択した、有権者である我々にも努力が求められている。

 私達自身にも、言葉の重さを取り戻す作業が待っている。


 5月のGWに対比して、9月の5連休は、SW
シルバーウイークというらしい。

 この5連休に、遅まきながら、キャンセル待ちで申し込んでいたら
なんと、キャンセルが出てしまったのだ。
 5年ぶりに、オーストラリア・ケアンズへ行くことになってしまった。

 全額、アッシの費用負担。
 5年前の前回は、妻の貯金だったが、今回は、言いだしっぺがアッシ。

 家族4人で、○十万の出費だが、一人当たりでは、17万ちょい。

 高いのか、安いのかは分らない。

 5年前は、キュランダとグリーン島、陸と海の世界自然遺産の旅だった。

 今回は、グリーン島と沖合いのグレートバリアリーフ(ポンツーン)に行く予定。

 5年前、映画で、ニモが話題になっていた、レッドソックスがWSで久々の優勝を飾った年だ。
 レッドソックスのTシャツ着ていたら、からかわれたのを思い出す。
 地区シリーズでヤンキースに3連敗。
 オーストラリアから帰国してから4連勝のリーグ制覇の余勢をかっての世界一だったな。

 往復800キロの軽自動車運転はつらいが、
現地では、ま、のんびり、してきまっさ。

 選挙に負けたばかりの自民党が迷走している。

 ある世論調査によれば、76%の人が、自民党に政権与党として
復活してほしいとか。

 解党的出直しの必要な自民党にとって、世代交代と人材発掘の絶好の機会だろう。

 シャドウキャビネット(影の内閣)を早急に立ち上げて、
建設的野党としての力量を高め、新政権の政策に物申す、
不備があったら、すぐにでも、次の政権を担えるという
準備を怠らないことだろう。

 人脈もある、国政課題への真摯な取り組みが、一番の、信頼回復への近道ではないか?

 国民は、 「政権交代可能な」二大政党制が定着する

 ことを望んでいるというのが、76%の数値なのではないだろうか。

 

 自民党大敗北の理由を考ると
保守本流、保守本流の王道ということにいきつく。

 保守本流、保守の王道とは、滞留でもなく、守旧でもない
 ゆるやかな自己変革をいとわず、漸進しながら、
持続可能な生活を保障する政治  といえようか。

 東西冷戦と日本政治の55年体制は、不可分の関係にあると思うが、
その時代、自民党は、まさに、保守本流の王道を歩み、
 
 軽軍備経済大国、所得倍増計画、福祉国家、一億総中流、欧米並みの生活水準

 敗戦から10年後の日本に、自由党と民主党が合同して以降30年にわたって、
戦後の荒廃からの復興と生活向上の実感を、国民に与えた。

 自民党の逞しさは、野党が提案する良いものを吸収し自らの政策として実施して、
国民に、漸進の改革を提示してきたことだろう。

 東西冷戦は、西側アメリカと、東側ソビエト連邦との「冷たい戦争」という状態、

 ベルリン市内には、壁がそびえ、東西に分断していた時代。
 ベルリンの壁が崩れたのは、1989年。

 壁が崩れた、冷戦終結後の世界に、日本が、国民がこれから漸進していく新たな方向を
自民党は示せなかったのではないか。

 冷戦の主役、アメリカも、ソ連も若い国である。
力を持った青年の横暴に、老練な国家郡が2分されていた時代と言えようか。

 現状の打破と極端に走るという意味において、
西部邁が言うように、アメリカもソ連も左翼である。

 国家意思も、直線的な思考と志向を持っている(た)。

 国家としての伝統に、思考と志向に多様性を持つ欧州諸国とは
一線を画する存在といえようか。

 アメリカは、経済のグローバリズム化という名のアメリカ標準による経済体制とか
アメリカ文化の世界標準化という形を採って現れているように、

 これからも、左翼の国家として直線的な志向と思考を持って臨んでくるだろう。

 日本において、欧米と一くくりにして語るが、
 移民の国ではあるが文化的に単一性の連邦国家が合衆国アメリカなら、
多民族の多様な複数の文化を持つ国家の統合を目指す欧州は、多様性において
米とは、明らかに異なる存在である。

 日本が、持続可能な国民生活を構築していくためにも、
もっと、もっと、欧州の智恵と努力に目を向けるべきだろう。

 55年体制において、自民党は、本質的意味において
選挙に負けたことが一度もなかった。
山が動いても、過半数を野党に握られることは無かったのである。

 それは、何度選挙を行っても、首相は代われど、
政権は交代しないということであり
 反自民の投票は、自民党政治にお灸をすえる程度のものでしかなかったのだ。

 しかし、今度の選挙結果は違う。

 シャッターストリートに代表される地方の疲弊、
極端な自己責任論と多くのワーキングプアの存在、
国民皆医療保険といいながら、保険証のない人々
生活保護以下の生活をじっと耐えている多くの人々

 保守本流の王道を忘れた政治の帰結であり、
 政権は交代したのである。


 民主党に望むものは、保守本流を目指し、王道を歩み
国民に、漸進による変革と、生活再建の実感をもたらす政治・政策を
果敢に実行することである。

 多くの国民は民主党の公約実現に期待しているし、
少々の痛みにも耐えるだろう。
 

 将棋の奨励会三段リーグに順位一位で参加していた、
本県出身の阿部健治郎三段が、最終日を待たずに、二局を残して
20歳で、四段昇段を決めた。おめでとう。

 
 将棋駒の生産日本一の天童市がある山形県も、
日本将棋連盟のプロ棋士は、飯田弘之六段ただ一人だった。
しかも、飯田六段は、休場中。

 将棋のプロは、四段になって初めて、プロ棋士となる。
阿部三段は、たしか、15歳か16歳で三段になったはずなので、
 あしかけ5年目の春である。

 阿部新四段、精進が実って、本当におめでとう。

 プロ棋士として、これからの活躍を、山形の空から期待しています。


 衆議院議員会館は、落選した自民党議員の引越しで相当賑やかだったようだ。

 その中には、祖父から自分まで3代、40年間に渡って同じ部屋を
使い続けた3世議員もいたとか。

 そりゃ、腐るわなあ。

 水は流れなければ、やがて、汚水となって、濁り、使い物にならなくなる。

 落日の自民党を象徴するのが、臨時国会での首班指名選挙で、
負けると分っている「麻生太郎」とは書けないから、白紙投票しようという声がでていること。

少数野党とは、負けるとわかっていても、自分の党首の名前を書くものなのである。

 今月末まで、麻生さんが、自民党総裁なのだから、

首班指名選挙で、負けると分っていても

 大きな文字で、麻生太郎 と 書く

 それが、野党に転落するということなのだ。

 その苦さを、噛みしめることも出来ないで、
政権復帰が、すぐに果たせるような党再生など出来るものか。

 臥薪嘗胆の出来ない者に、次はないのだ。

 「民主が勝ったのではない、自民が負けたのだ」 と、
自民党諸子はのたもうたようだが、その認識も誤りである。

 多数の議席を獲得したものが、
その時の勝者なのであり

勝者を生み出したのは、

名も無き人々の一票、一票の

積み重ねなのだ。


 長年、自民党を政権与党として相手してきた
官僚に、暑い夏がやってきた。

 インデアンサマーになって欲しいと思っている人が多いだろうが、
308という数は、少なくとも二年は、変らないだろう。

 この5年で、親分が3人も代わってしまった経験を持つアッシも、
初めて、親分が代わった16年前の時には驚いたもんだ。

 その親分は、12年勤めたが、高齢と多選批判をかわせず、敗退。
 気鋭の親分にとって代わられた。
 ほぼ、同じ年のその気鋭の親分になった時は、かなりショックだったが、
この人は、余りにも、成果と結果を求めすぎて、庶民の気持ちがまるで読めないKY状態で、
夫に先立たれた老親の介護経験のあるオバサンにまさかの敗戦、一期で落選した。

 この姉さんが親分になったこの2月からは、また、新しい気持ちで仕事をしている。

 全国各地を飛び回り、人事異動に慣れている彼ら官僚諸氏も、
政権与党が、真の意味で代わったのは今回が初めて。

 これから、いろんな嫌がらせをしながら、自分達の既得権益を守ろうとするのだろうが
どっこい、。政権与党を代えたのは、国民なのだ。

 自民党の総裁が代わって、大臣が代わってというのとは、訳も、意味も違うのである。

 官僚にとっても、「官僚統治の日本」という気概を持つことはいいが、
「臭い物に蓋」、「情報隠し」、「責任の所在の不明確化」 等々の
これまでの常套手段は通用しないと思うべきだ。

 再度、書く、政権与党を代えたのは、民主党に308議席を与えたのは
現状に不満爆発の国民なのだ!

 情報公開を迫られて、キチンとした情報を提示できない諸君には
退場してもらおう。仕事がしたくても、仕事がない人が山ほどいる時代である。
 真に志のある官僚に交代してもらおう。

 


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