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 明治の大日本帝国憲法は、
結果として、欽定憲法として発布された

 しかしながら、当時の日本国民が
憲法を考えなかった訳ではない
 自由民権運動の発祥の地、土佐をはじめ
あちこちの、国民が、私案を発表していたのは
周知の事実であるはずだが

 某新聞の記事に、そんなことはなかったかのように
断定している署名入りの記事があり、とても気になった

 現行の日本国憲法が、押しつけであるとか
色々と言いたいことがある人もいるのだろうが

 当時の国民の80%は、新憲法を歓迎したことも事実なのだ。

 占領下とはいえ、正当な選挙で選ばれた国会議員によって、
日本国国会で審議され、
1946年、昭和21年11月3日(明治天皇の誕生日)公布
半年後の、1947年、昭和22年5月3日に施行されたわけである。
日本国憲法は70歳、古稀を迎えたわけだ。

 日本国憲法が公布・施行されるまでの間にも
当時の国民は、新憲法について、活発な議論や民間の活動があり
私案も多く世に問われたのであった

 当時の日本国民に比して、後世の今の国民が
憲法を考えているだろうか?

 2020年に東京五輪があるが、1964年開催の時のような熱狂が起きるとは思えない
2週間足らずの、一過性のイベントのために
国家百年の計を図る憲法改正が、引きずられてはたまらない。

 自民党総裁任期を3期9年まで延長して、自分が総理・総裁でいるうちに
憲法改正したいという、自分勝手な思惑が見え見えな訳だ

 長州が作った大日本帝国憲法が
日本を滅亡の淵まで追い込んだことを
忘れるわけには行かない

 天皇をかっさらうため、皇居(当時は京都御所)に、
弾丸を打ち込んだ(蛤御門の変)のも、他ならぬ長州である
 天皇を政治利用し(幕府寄りの孝明天皇を暗殺した可能性すらある)、
詔勅を偽造し、ありとあらゆる謀略を尽くして、政権を乗っ取った、
今でいえばISのようなもの、テロリストの集団である
 まさしく、幕末の薩長の行動は、テロそのものであることを忘れてはならない

 そのDNAが、脈々と、今も生きているのが安倍晋三という男だ
 
 多分、アメリカの家庭教師に教育された今上陛下を嫌いなんだろうな
 憲法を順守すべき公務員の長が、憲法をないがしろにし、
都合のよい時だけ憲法を持ちだす
(天皇は憲法上国政に権能を有しないので、
天皇の意志を踏まえて、国会が退位を認めてはならないという部分とか)

  今上陛下は、明治天皇の孫の子、徳仁親王は孫の孫、悠仁親王は孫の孫の甥である
男子に限っていれば、やがて、皇族はいなくなる

 その時は、敗戦後皇籍離脱された旧宮家から
明治天皇の血脈につながる人を担ぎ出せば良いとでも思っているのか?
6代前、120年以上遡ぼらなければ血がつながっていないなどという人に、
誰が、そんな人を、国民統合の象徴として認めるだろうか?
 (例えば、竹田恒泰の息子とか)

 ついでといってはなんだが、時間の経過は、時として酷いもので、
アッシに大学で憲法を教えてくれた日本国憲法の教授は、
若年の頃の論から180度転向して
御用学者に成り下がってしまった


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また一人、昭和を代表しているような人が亡くなった

永六輔さんの訃報から間もないのに
大橋巨泉さんも亡くなった

82歳

昭和一桁世代 戦争前後の飢餓を知っている人々
戦争に行った人も
疎開を経験した人も

だからこそ、白いご飯が当たり前に食べられることが
当たり前ではないということを身を持って知っていた人

参議院議員選挙が終わって、改憲勢力が2/3を超えたとか
もう、既に、この選挙の前から超えていたというのに

中身が問題なのだ

憲法を遵守する気のない人々による
時代錯誤も甚だしい改憲草案を見るにつけ

180度、意味を変えてしまいたいのだなと思う

政府を縛るものから、国民を縛るものへと

アメリカから押し付けられたから変えたいのではなく
(それは。表向きの理由で)
自分達が勝手に国を動かせるように
国民を縛るために変えたいのだと

今の日本国憲法に、政府という言葉は
一回しか出てこない

憲法前文に、ただ、一度だけである

行政府の長が、「立法府の長」と言い間違えても
なんらお咎めのない国の総理大臣が、
選挙が終わったとたん、憲法改正に饒舌になった

相変わらずの、姑息な野郎だぜ

一年前のことを覚えている国民は、やはり少なかったのだろうな

何があったのかを、やはり、知ろうとし続けることなのだろう。


熊本県や大分県が大変なことになっている

地震から一週間、毎日、毎日、余震が続き
震度3、4、5弱、5強の地震が頻発している

避難所に人があふれている

九州出身のプロ野球選手が多く
活躍した試合のお立ち台で
毎度のようにに、涙を流して、
インタビューに答えるシーンが流されている

被災地とは、九州の熊本や大分だけのことなのか?

私の住む県には、
もう5年も経つのに
いまだ、避難したまま、
故郷に戻れない人々が
3千人以上いる


東北各県・茨城全体では8万人を超す人びとが
仮設住宅暮しを強いられている

福島の、青森の、岩手の、宮城の、茨城の沿岸部は、
もう、被災地ではなくなったのだろうか?

羽生結弦も、福原愛も、西部の岸も、
ヤクルトの畠山も、その他多くの選手たちも
東北出身の選手たちは、
試合の度に涙を流す人は、もう、いないのだ

 それほどの時間が経っているのに、
復興途上にはあるのだろうが、
 生活の根拠を失って
途方に暮れる多くの人が、東北にも、茨城にも
まだまだ、沢山いることも、忘れないで欲しいと思う。






 戦後70年の節目の年も
あと3時間足らづで終わる
 
 仕事がら様々な記事を読み
新聞の切り抜きをスクラップした

その厚さは5cmのバインダー一杯になった
それほど記事が多かった

 年末ギリギリになって、岸田外相が訪韓し
慰安婦問題に一応の決着を付けた

 2016年は、日米開戦から75年の年である
終戦だけでなく、開戦の面からも、もう一度
あの戦争が、なぜ起きたのかを考えてみたいと思う

 随分と長い間、記事を書かなかった訳だが
一日は24時間しかないってことで
自分の気分として、こんなもののために使う時間が
全く存在しない時期もあるということで
拙文にお付き合いいただいた方々には
申し訳なく思っています。

 ありがとう御座いました。
 
 良いお年をお迎えください。

 皆様が、幸せでありますように。

 


 安保法案が国会を通って成立してしまったことを
1年後の参議院議員選挙まで覚えていますか?

 民主党が情けないといって、2012年12月の総選挙で
自民党に政権が戻ってから
参議院選挙が1回、衆議院議員選挙が1回

 どちらも政権与党の躍進につながった選挙でした

 内閣に不信任をつきつけるのなら
選挙結果で示すしかない今の状況を
来年7月の参議院選挙まで覚えていますか?

 国民は、きっと、忘れるんだろうと
安倍晋三という人は思っているのではないかと
アッシは想像しています

 国民は、徹底的に舐められているんでしょうね きっと

 1年後も、忘れないでいられますか?

 2009年、選挙によって、
投票率60%を超す投票行動によって、
政権交代があったことを覚えていますか?

 


 議会における採決は、強行だろうが強行でなかろうが
議会制民主主義において、多数決が原則である

 安全保障関連10法案が国会で通った

 アッシは、この法案を、日本を戦争に限りなく巻き込む
ことになる法案だと考えている者であることを
最初に書いた上で以下の独り言を見て頂ければと思う

 これまで、3月以降の一連の出来事について
コメントを書かなかったのは自分なりの想いがあってのことだ

 問題点①
 アメリカ議会で、発言し、約束してきたことだということで
国会における議論が、通過儀礼になってしまったこと
立法府無視の姿勢は、安倍晋三の「早くやれよ」というヤジに端的に表れている
審議をお願いしている立場の者が、質問に立った議員に対して言うことではないはずで
疑問点対して自分がまともな説明が出来ない法案に対して、
文句は言うな、議論はいらないと言わんばかりの物言いである

 問題点②
 三権分立と言いながら、行政権の優位が目に見えるようになったこと
 本来、同じ位置にあるべき三権が
 1 行政権(政府) 2立法権(国会) 3司法権(裁判所)
の順番で、順位付けになってしまったかのようだ
 特に、司法権は、政府にコケにされているとしか言いようのない状態である
 1票の格差についても、何度違憲訴訟が出されても、選挙結果については追認を続けている。
 今後各方面から、恐らく出されるだろう安保10法案の違憲訴訟においても
下手したら行政や立法の判断を追認するような判断が出される恐れすらある

 問題点③
 憲法は、公務員に憲法を守るよう定めているのに
 憲法や法律の順守を無視したかのような行動がまかり通っていること
 国会議員は、憲法順守を求められる公務員なのである
 「法的安定性は関係ない」という発言に端的に表れている

 問題点④
 国民主権ではなく国家主権に軸足が移ってきていること
 主権者は国民であって、政府に主権があるのではない 

 昨年12月に行われた解散・総選挙は、争点を隠して、
本当の目的はここにあったということが
今にしてはっきしたと思う

 自民党に、今の議席を与えたのは、国民である
 公明党に、今の立場を与えたのも、国民である
 「平和の党」が聞いてあきれる今の公明党である

 廃案にするには、廃案を公約にする政党を躍進させて
政権交代を実現させるしかない

 本気で廃案にしたいなら、選挙にいくことだ

 有給休暇が年間20日あるのに、1日も使わなかったら
 無いのと同じである
 
 国民の権利も、行使しない権利は、無いのと同じである


 70年前の今日
沖縄における組織的な戦闘が終わった

米軍の圧倒的な攻勢に、三か月に及ぶ
持久戦を戦い、牛島司令官、長参謀長が
自決した日である

 山形の32連隊はその後も戦い続け
降伏したのは8月15日を過ぎてからだった

 天皇の軍隊は、陛下の赤子である県民を守らなかった
天皇の軍隊は、陛下の赤子である県民の命を盾にして
自分の身を守ろうとした

 あちこちのガマで繰り広げられた悲惨な事実である

人命を守る装備と訓練を行っていることで
日本の自衛隊は、世にも稀な武装集団である

 東日本大震災においても、その能力は発揮された

 集団的自衛権を合憲と強弁して
安保関連法案を成立させるために国会を9月まで延長するという

 法案そのものが違憲であるような法案の審議に国会を延長するという

 長州が作った大日本帝国憲法が亡国の瀬戸際まで日本を追い込んだ
長州出身の戦争体験のない田吾作総理大臣は、
またも、日本を破滅の道に導こうとしている



GWに年休消化を の掛け声のもと
率先垂範、二日年休を取ることにした
5月の7日と8日を休んでの9連休の予定が
なんやかやで、1日と7日に有給取って
7連休となった今回のGW

久々に、徹底的に、無頼の日々を送っている
勝負事三昧の日々  負ければ懐に痛い あの感覚
すっかり忘れていた あの感覚である

フリーで打てる雀荘に行くなんて、何年振りだ?

 地元山形の店は点1のワンツーだったり、
遠征した仙台の店は点1のワンスリーだったり

 店は違えど、ラスを2回引けば、
万札があっという間に消えていく

 毎日、毎日、夕方から夜中の閉店時間まで
ひたすら打ち続ける

 店のシステムも、東風戦から東南戦へ変わっており
ゲーム代も一人500円から600円へ値上がりしていた

 東風戦では、時間が短いのはいいが、
客の視点からすれば、ゲーム代だけが20分足らずで消化され
長い時間遊べない欠点があったのだ

 東南戦でも、基準点を超えるとゲーム終了
55000点だったり、60000点だったりするが
55000点なら、東の1局で、親が跳満と満貫上がれば終了である

 昨日は、仙台に遠征 本当は東京の新宿の雀荘で
明け方まで打って、カプセルホテルに泊まって
今話題の谷根千地区とか
懐かしの新宿二丁目で飲もうか なんて考えていたのだが
カプセル自体が予約で満室なのであった

さすが、GWである、ビジネスホテルにしたって料金も高いしな

 何故か気が乗らず、妻に送って貰った山形駅から
急遽、バスに乗って仙台駅前に降り立ったのだった

 初めての店でルール説明を丁寧に受けてから
対局開始 第一局 南2局の親番で
面前清一色で四暗刻をあがったのにはビックリ

 配牌13枚の内、萬子は、9萬、6萬、5萬、4萬2枚
3萬は4枚、1萬1枚の合計10枚と、筒子、字牌合わせて3枚

 6巡目までの自摸が、4萬、6萬、5萬、9萬の順に来て
聴牌した時には、 9萬が頭、3萬が4枚、4萬3枚,
5,6萬が各2枚で二萬と五萬が当たりの状態に
(リーチはかけない ダマテンでも親の跳満、自摸って倍満である)
8巡目位に4萬を自摸ってきて、3萬をカン(待ちは、4・7・9萬に変化)
持ってきたのが6萬で、4萬をカン(待ちは、5萬と9萬に変化)
持ってきたのが9萬で四暗刻の完成であった

 お店の特別ルールで
暗カンのカン即御祝儀でチップ1枚オール
役満の御祝儀でチップ4枚オール
しめてチップ18枚
親の役満で、2着の人も箱下寸前でチップ払い
この局だけで2万円近くの収入である

 調子に乗って次局も連勝するも、すぐに下手打って
ツキを離してしまい、2ラスを食い、その後何とか盛り返して
12時から17時まで、5時間、都合10局くらい遊んで
純利6000円のプラス
(場代込なら、実質12000円のプラスである)

 朝も、昼も食べずに打っていたので流石に腹が減った
夕方は17時開店で、行列の始まったばかりの「利久」の
「牛タン定食」1624円でスタミナ補充 
麦飯は半ライス程度にお代りした
注文を待つ間にビールが飲みたくなったが、
酔っていては打てないので我慢、我慢
 入店までの待ち時間は20分程度だったが、
食べ終わって、外に出たら
行列の長さは、2倍以上になっていた

 19時から、雀荘に赴き、再度のチャレンジ
朝6時まで、徹夜で打って、
財布が箱下寸前でリタイア

 悔しいから、コンビニでお金をおろして
再チャレンジ、7時から13時まで6時間、打った

 お店のサービスタイム時間帯に2連勝を2回達成して
御祝儀が1回4500円、〆て9000円のプラスである

 ラスハンコールの人が箱下寸前で四暗刻自摸って
まくられたりとか、色々あったが
徹夜の負け分5万円を、何とか、2万円程度までに
減らすことが出来た

 これからも、徹夜は無理でも
朝から晩まで、仙台に遠征してみよう

 この連休中、遊ぶだけではなく、
合間、合間に、午前中は家の用事も、やっていたんだけどね

2日の土曜日は、枯れて再起不能になった
花水木の枝落としや、納戸の大掃除も、徹底してやった

 その結果、プラスチック・ビニールゴミ2袋、
雑貨家電ゴミ袋は3袋分のゴミが出てきて
納戸には、90センチ幅のスペースを4段分空けたぞ

3日の日曜日は、娘の中古車の下見に付き合い
クローゼットの夏服・冬服の入れ替えもやった

4日と5日は完全遊び人状態で過ごすと決めていたのだ

 残すところあと二日、明日6日は一日落ち着いて過ごそう


 3月25日(水)
 年休取って娘の卒業式に出席
引っ越しの下準備を兼ねて車2台で出かける
アッシは単独運転、妻と娘がコンビで
アパートで落ち合う事とする

途中、トイレ休憩&喫煙タイムを1回取って
2時間程で到着、
時間を見計らって大学の式場へ移動
一時間程の式が終わって、学内を見て回り
ゼミの教授に挨拶に行った娘の戻りを待って昼食へ

前回訪問時に行きそびれた
リバーサイドのパスタのお店に

2時前にはアパートにとって返し
第一次引っ越しの準備を始める

 男の子と違って、女の子は何でこんなにも
荷物が増えるのか?
入学時には、広く感じた8畳のワンルームが
所狭しと物がある

 一番場所をとっていたのは観葉植物
種類の違う植物が何鉢も置いてある

 服や本、クッションや布団などなど
当分使わないような物を中心に
車に詰め込んだ
 娘を残して、車2台で山形へ
ほぼ同時に到着して、娘の部屋に
運んできた荷物を入れなおす
この中から鶴岡の転居先にまた運び直すのだろうが
本各的な新生活は4月4日以降なのであった

 3月27日(金)
妻が休みをとって、福島のアパートの引き払いの手伝いへ
室内掃除をして、大家の立ち合いも無事終了
クロネコヤマトの単身パックでコンテナ2個分の荷物になった
残りは、単身パックに入りきらなかった観葉植物とともに
夕刻、妻と娘が戻ってきた

 3月28日(土)  好天
空の青と残雪の白が目に染みる月山道を快調にドライブ
街中の不動産屋で入居の説明を受け、契約書にサイン
「滝太郎」で昼食の後、新たな住まいへ移動
午後2時前、会社の支店長さんと合流して
室内確認の立ち合いをしていただいて、
会社に提出すべき必要書類に記入して
事務的手続きは、15分くらいで、全て、完了

 3時前に、クロネコヤマトのコンテナ到着
室内に運び込みが30分程で終わる
 クロネコのお兄さん二人が運ぶのに
手伝うこともなかったのだろうが
なにかにとなく手伝ってしまう
クロネコが去ってすぐに鶴岡ガスの担当者がやってきて
都市ガスのセッティング、ガスコンロの火、
温水器のお湯もしっかり出るようになったのを確認して
セッティングも終了した これで生活道具は全て揃った

 午後4時前には高速道路のICを過ぎて帰路へ
眠気を催すドライブも夕陽がきれいだったな

 さあ、今年度も残すところ3日である

 2011年3月13日 4年前は何をしていたのか?

 夕方、20時30分過ぎ、停電から復旧
付近一帯で一番遅い電気復旧だったことは覚えている

 県民手帳のその日を見れば 
その日は日曜日、休日出勤の職場の仲間達に
リポDや缶コーヒー、お菓子などの差し入れを行った

 当時250円だった「わかば」を4個まとめ買いしている
前日にも4個まとめ買いしているのにな
まだハイライトを吸っていて売り切れたのだった
自分にとって、この何日かで、
ハイライトからわかばに銘柄が変わるきっかけになったんだな

 自分の車のガソリンが残り少なかったのではあるが
途中の道路の信号も、復旧しているところ
そうでないところがマダラになっていて
交差点では、そろそろと運転していたような気がする

 震災から3日目、日曜日、仕事にならず、
買うものも無くなって、ガス欠で
街中は、ひっそりとしていたんだろうな

 津波や、原発の爆発の映像を初めて見たのも
その日の夕方だったんだな

 それから2週間後、3月28日の月曜日、
震災発生以後初の給油
早朝7時、ガソリンスタンドで満タンにして、
車通勤再開と記してある

さらに一週間、コンビニが24時間営業を
再開したのは、4月2日だった
 

このところの出来事に思うこと

被害者には人権はないのか ということ
ことに 亡くなった被害者
殺された被害者には人権はないのか ということ

13歳の少年が、リンチの挙句殺された

彼の実名や生い立ちや、映像がこれでもかと
テレビで流れ、新聞に週刊誌に掲載される
 死んでしまえば、少年法は適用されないとでもいうのか?
 それでいいのかな 

 かつて、報道の暴力
報道による被害者の二次被害
ということが話題になったが
 それでいいのかな

戦後70年 あの戦争は、日本の良き伝統
すなわち、長年培った文化や倫理感から逸脱した戦争である
安倍晋三の云う「美しい日本」からもっともかけ離れた時期が
15年戦争の時代である
 一つ 軍事が政治をコントロール
 一つ 特攻・玉砕を国家公認の戦術として採用
 一つ 捕虜の処遇を巡る国際条約を無視
 一つ 戦争終結の構想なき軍事行為

そして何より国民の生命軽視
一銭五厘でいくらでも兵は集められるとうそぶき
菊の御紋章を刻した三八式歩兵銃を人命の上位に置く

天皇の名において、天皇の軍隊といいつつ
 陛下の赤子を大量に殺す10死0生の作戦を行ったこと
正しい戦況を天皇に奏上しなかったこと
 佐官が将官を、キサマ呼びつけする不遜な階級無視
 意識の下剋上・不忠者の集まりである

 ネットの検索には、知りたいことは、何もない
仮想ではない現実の世界の 
 言葉の外にある、時間や経験を

 未知に出会う旅に出よう
未知と向き合う旅に出よう



 1月に56歳になった

 55歳を超えたら昇給停止
だから、もう、昇給することもない

 明後日、4度目の3.11がやってくる
これまでの4年は

たとえば、娘の受験から卒業までの時間に重なる

 中二だった息子は、公立高校の受験に失敗し
私立高校の3年になろうとしている

 妻は、三つの街の、三つの学校で、
短期間の臨時の養護教諭として働いてきた

 自分はといえば、三か所の職場で、
課長補佐として、
学校の事務部長として、課長として
それぞれの職場で、自分なりに、
力を尽くして日々過ごしてきた時間でもある

 父は、震災の年の秋に、
認知症の症状が出始めた頃、老衰で亡くなり
母は、白髪が更に増え、杖をつく生活から、
車いすが離せない日常になり
認知症の症状もハッキリとしてきている

 さて、これからの4年は?

自分の職業生活の残りが4年
だまっていても60歳定年がやってくる
 その後の職業生活のことはわからない

 震災による、揺れと津波による被害に加えて
原発事故による被害が重なって
復興を難しいものにしている

 これからの4年という時間を考えるとき、
今日、この瞬間、今は、ただ、
明日も、そして明後日も
仮設住宅で3.11を迎えるであろう方々が
2020年に開催される予定の東京オリンピックを
仮設住宅に住んだまま、
開会式のその日を迎えることがないように祈るばかりだ



 3月7日(土)
 太平洋戦史全10巻のフィリピン編を読了し
さあ、次はどうするというところで
手にしたくないなと思っていた
中国、満州(上下)、朝鮮の4巻が残っていた

隣組の年一回の懇親会の酒が回った頭で
 さて、何から読むかと思い、結果、朝鮮編に挑戦することとした

21時過ぎから読み始めた 最初の作者は、女性である
「藤原てい」という
 5歳、2歳、生後二か月足らずの乳飲み子
3人を抱えての、満州新京から北朝鮮
38度線を南下、帰国するまでの
約1年に及ぶ苦闘を描いた文章の内容は凄まじい

 100頁あまりを一気に読み進め、
日付の変わった午前2時に読了

3月8日(日)
 午前中は、いつものように「サンデーモーニング」
「NHK杯将棋トーナメント」を見ながら昼過ぎからは
「YOUは何しに日本へ」と
相も変らぬ日曜日の過ごし方
合間に昼寝を挟んで夕刻前に母の買い物

 藤原ていのことが気になって、ネットで調べると
満州・朝鮮からの帰国までを描いた
「流れる星は生きている」は100万部を売った
ベストセラー作家ではないか
しかも、あの「新田次郎」の奥さんではないか

 逃避行の文章中に気象台勤務の夫が
仕事が残っているということで
離れ離れの逃避行になった経緯が書かれていたが
新田次郎のことだったとは想像が届かなかったのだ

 新田次郎の作品は、「新田義貞」「武田勝頼」「孤高の人」
など何点か読んでいるのだが
奥さんも、作家だったとは知らなかったのである
また、この逃避行で2歳だった次男正彦さんは、
最近「国家の品格」を著作した学者であることも知った

 朝鮮編は、殆ど、逃避行、脱出行の話のオンパレード
のようであるが、8月9日、ソ連が侵攻してきた時点で
どこに住んでいたか、どんな境遇であったかが
その後の運命に大きく関係しているようだ

 父が残し、旧宅から引っ越しの時に「本は捨てるものじゃないよ」と
廃棄するのを止めてくれた上から三番目の叔母に感謝しながら

 苦行にも似た読書になるかも知れないが
最後まで読むぞ~!
 
 


 凡そ一か月かかってフィリピン編を読了
 従軍記者が書き残した戦史であるが
フィリピンは、あの広い国土を戦場にしても戦没率90%

 フィリピンは、日本の支援で独立した第二共和国も
戦闘に加わって、現地の人々も多数亡くなっている

 記者諸氏も、現地徴用され、従軍した方も多く
マニラ陥落、バギオ、北部平原への敗走
飢餓、病気、あらゆる苦難に生き残って
日本に帰れただけでも奇跡的である

 その方々が、戦後30年にして
自分が体験した、見聞きした戦場を語るわけだが、

 1942年の戦い 4月のマッカーサーの比島脱出と
日本軍の占領
1944年から1945年の地獄の戦いでは
まるで様相が違う
 
 1942年 マニラからバターン半島、コレヒドール島へ逃れた
米比軍が降伏したころ、ミッドウエーで日本は大敗北していたのだった
オーストラリアに逃れたマッカーサーが、
西部ニューギニアから反撃に転じるのはその半年後
1942年11月だった

飛び石作戦で、ラバウルを無力化し
補給線と飛行場を確保しながら西進し
遂に、フィリピン攻略が始まったのが1944年10月
米軍がフィリピン奪回・ルソン島攻略の足場として
補給と飛行場の確保のため
レイテ島が最初の戦場となった

.... 続きを読む

 生きていれば、色んなことが起こる

 良いことも、悪いことも

ただ、その時にどんな対応をしたのかで
その後が変わってくるのだろう

悪いなりに、やるべきことをやれる時と
そうでない時があるのだろう

 悪手をたて続けに指してしまう
そんな時があるもんだ

 元気な時に、威勢の良いことで
自分がそんな姿になるとは想像だにしない

 縁を切りたくなるようなそんな相手であっても
普段は付き合いを絶って、
近づかないようにしてはいても、
状態を確認に行ってもらって、
確実に認知症の症状が出ているとあっては
ほったらかしにしておくことは出来ないのだ

  本人の意志能力が残っているうちに、
公的な支援の輪の中に取り込まなければ
 そうでなければ、今後、どんな悲劇がまっているか知れないのだ

 議会中なのに、所管事項に質問項目がなく、答弁調整が一件もない
午後からの会議や打ち合わせや出張も入っていない
という奇跡のような二日間の時間があったことで

 緊急に二日間の年休を取得し、
中の叔母び対する今後の対応について
新潟に住む上の叔母や、同じ埼玉に住む末の叔母夫婦と
意志統一を図ることとした次第であった

 3日は、新幹線で埼玉往復を日帰りし、6時間の乗車時間
 4日は、マイカーで、新潟まで雪道を往復日帰り6時間の運転
 体は十二分に疲労しているが
こういううことは、電話だけでは片付かない
面談して、相手の様子を確かめながら
話すことが大事なのだ とつくづく思った

 まだ、予断を許さない

 当分、連絡を取り合いながら、必要なら
一番動ける自分が、あちら、こちらと動いていくしかないのだろう





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